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供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた

2010-08-02 02:03:41 | 日記
題 : 「供養の食べ物を食べて・・・
             二ルヴァーナの境地に入られた」
五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像: 水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕: カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッ
     ター川のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え
     切れなくなります。
   ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲
     んで来るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があり
     ます。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんで
     すけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、その
     ことで自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、
     問われる様なことになりはしないか、彼はけっして悪く
     ないんだと、彼がその事で自戒の念に悩まされ、自分に
     悪徳がないのではないのかと、こういう風に考えない様
     に、彼によく言って聞かせてくれと、当時の鍛冶屋と言
     いますと、芸能人とかその他の職業と同じ様に、いわば
     当時は、カーストの外にあった、大変こう、大きな差別
     を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に
     心を配るという、そういう遊女だ、あるいはアウト・カ
     ーストの人だという人々にも、全く平等に、自分の思い
     を伝え、接することを、日常の事としていた、仏陀の偉
     大さというものを、今の、近代を超えて来た私達、人権
     なんていう事をですね、改めて学んでいる私達以前に、
     仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたような気
     がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある
     2本並んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言を
     しました。
      そして、こう続けました。
        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。
ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の
     食事がきっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに
     劣らないほどの功徳があると、仏陀は言います。
        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。
ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くことも
     ままならず、頭が北向きになるように、床をしつらえさ
     せ、病み、疲れた身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹
     に変化が現れたとしています。
        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。
ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ。
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えませ
     ん。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てら
     れております。
                         (つづく)
(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力
     によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(く
     どく)、他を益するのを利益という。