「持たない暮らし」を目指す家事日記

日々の暮らしって、
大切だけど、面倒なこといっぱい。
負けないぞ、の報告です。

母のこと

2016年06月03日 | 母のこと

引っ越してきて、10日あまりがたちました。

87歳の母親はとりあえず元気でいます。

 

昨年の11月に父が亡くなりまして、

敷地内に弟の会社があるとはいえ、母は広い家に一人で暮らしていました。

とはいえ、

お昼は弟夫婦といっしょに食事しますし、

私と兄が週に2~3度ずつ行きますし、

ヘルパーさんが週に二回の掃除に来る、、、という状況なので、

(一日中、全く一人の日はない)

まあ、

母の行く末はゆっくり考えて、、、、、

とタカをくくっておりました。

 

一人で買い物に行くし、

その買い物の中身は

魚の切り身や、調味料や、果物や、、、

なので、私は浅はかにも、

まだまだ現役の主婦してると信じていました。(それが、そうじゃなかったということは後からわかりました)

 

春ごろに、きちんと薬(降圧剤)を飲めていないのじゃない、、、?、

という問題点がもちあがり、

注意してみていると、

たくさん飲んだり、飲み忘れたりしていることが発覚しました。

薬は私が管理することにし、主治医に相談して、

3回処方の薬を朝晩の2回にしてもらい、

小分けして、ボードに貼って母に説明しました。

時々、まちがいますが、なんとか薬は行けるかなと思った矢先、

とんでもないことがわかりました。

 

弟から、「昨日、どこかの人におくってもらって帰ってきたらしい」という電話があったので、

夕方、母親の家に行ってみると姿がありません。

炊飯器は稼働しており、電気はついているので遠くではなさそうです。

近所を探し回り、兄にも弟にも連絡し、

もちろん警察にも連絡し、、、、、

 

で、

1時間ほどたったころ、

遠くのほうからひょこひょこと帰ってくるのが見えました。

亡くなった父親を捜しに出かけていたのです。(-_-;)

以前から父親が見える、、、ということは言っておりまして、

それは「幻視」やからね、、、という私達の説明に納得していたかのようにみえたのですけど、

こんなことをしていたとは、、、。

徘徊とは違って、

決まったところにでかけて、しばらく待っていて

あきらめて帰ってくるというパターンのようでした。

 

この事件以来、

私と兄で当番を決め、

夕方、母親の家に行き、8時くらいまでいっしょにすごし、

母がどうしても、、と言うときは

いっしょにその辺まで歩いていく、、、、

ようなことをして、数週間かすぎました。

 

それが4月のことです。

主人と相談し、

きっと一人ですごす夜が長いから、寂しいから、そういう幻影をみるんだろう、、

ということになり、

(もちろん、実家に引っ越して同居することが一番の解決策なのはわかっていますが)

私たちのところで、いっしょに住むことにしました。

 

問題点はただ一つ、

うちが狭すぎることでした。

3DKを2LKにして住んでいるところに、

母と母の荷物がきて、無事に済めるはずはありません。

急遽ネットでうちの近くで、少し広い物件をさがしたのがGW前、、

連絡し、ちょっとヒヤカシ気分でみにいったのが4月29日。

ヒヤカシで行ったのに、(分譲貸しのせいか)

間取りが理想的なのと、バリアフリーなのと、うちのマンションのごくごく近くという条件が気に入り、

GW明けには契約、5月中旬に引っ越しました。

 

母は意外にすんなりOKしました。

いつまでも、この広い家で自分一人では住めないというこは理解できたようです。

精神科の主治医の先生やら、関係者一同、

住み慣れたところから移動させると余計悪化する、と言われましたが、

もう、仕方ありませんエイヤッと言う感じの決断でした。

 

母の引っ越し(私たちは近いので、だらだらいるものだけを運びました)は22日でした。

直近の一週間くらいで私と旦那が母の家に通い、荷物を作りました。

冷蔵庫、洗濯機、ポット、トースター、炊飯器などは母が使い慣れたものがいいだろうと

全部運びました。

で、

引っ越しは午後にし、

午前中に菩提寺に出向き納骨を済ませました。

兄弟は反対しましたが

私は納骨の日に引っ越すことで、母に父親はもう向こうの世界に逝ってしまったことを納得させられるかも、

と思ったわけです。

納骨を済ませて、自分も娘のところにくると、

なんとなく一区切りつくんじゃないかと思ったわけです。

 

今日、母はデイサービスに行っています。

今日で二回目ですが、結構気にいっているようです。

「もう、何年もここで暮しているみたいに思うわあ、、、」と

時々言います。

この人、こんなに新しい環境に順応できる人やったんやなあ、、、と私は感心しています。

 

もちろん、認知症っぽいところは多々ありまして、

とんちんかんな会話をいつもしていますが、

食後の洗い物はやってくれますし、

洗濯物を干すのはほとんど彼女の役目です。

なるべくできることはしてもらって、

普通に暮してほしいと思います。

 

「おとうちゃんは(父のこと)もうあっちでじっとしてるんやね。」

と母が時々言います。

「そうそう、そのほうがお父ちゃんのためにもええねんで。」

とすかさず私は応えます。

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ten)
2016-06-03 16:12:33
泣けました。

私は、住み慣れたところから移動させたから悪化したと他人様に言われたことがありますが、一緒に娘と暮らせる安心感があったから、悪化を遅らせることができたと思っています。
その時の選択がベストだと思います。

何度もブログを書いては消し、を繰り返して、
自分の気持ちをぶつけたり、
分析してみたりしていました。
私の場合はこれが性にあっていたみたいです。

しっかり食べて、
睡眠時間を確保して、
洗濯物を溜めないように、頑張ってくださいね!
それが一番ですよね。
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tenさんへ (はなはな)
2016-06-03 20:51:25
tenさん、ありがとうです。お母さんの晩年いっしょにすごされていたtenさんからそういっていただくと、心底安心します。
先のことはわかりません。私も今の選択を信じ、がんばろうと思います。

現状や自分の心情を私はなかなかことぼにすることができないタチです。(-_-;)つまらんことはおしゃべりしすぎるくらいですのにね、、、。で、みなさんにはご迷惑ですけど、ブログで記事にして、記録したり、分析したりすることが、自分の精神衛生上とっても有効だと思いました。

tenさんがお母さんと暮らされていたころ、記事を読ませていただいて、そうなんだ、そんなこともあるんだ、、といろいろ感じたことがありました。でも、まさか、自分が母親と同居しようとは、、、、、思ってもみない展開です。
自分が決断して初めて、あのころのtenさんの気持ち、わかるような気がします。
お世話になったケアマネさんに、「あっと言うまに決めました」と顛末を話していたら「じっくり考えると決めれませんよ。」と言われ、大笑いしました。(-_-;)

まあ、三歳児と遊び、新生児を抱き、87歳としゃべり、
、、、、、毎日、お昼と夕食の献立に悩み、、、、
のどかな暮しです。(-_-;)

家事に対して、意気消沈しているので、これもまたブログのチカラを借りて、がんばろうと思います。よろしくです。
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