馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

芦原温泉へ

2018-11-11 21:48:43 | 旅行
本日も天気が良くて、出かけました。
北国街道歩き、前回福井県の春江で終わったので、
春江駅からリスタート!
朝の出発が遅かったので、12時前ですわ。

この時期日没が早いので、
急ぎ足で歩く

寄り道はできるだけしないようにしたが、
『称念寺』に立ち寄った。

新田義貞、明智光秀、松尾芭蕉ゆかりの寺なので、ここはどうしても外せない。


新田義貞公の墓


賽銭箱の前に冊子が置いてあって
一冊300円也。
それぞれ、寺にゆかりの人物に関する記述があるので、4冊買いました。

合計1200円也。
誰もいない時は賽銭箱に入れろ、
と書いてあったので千円札と百円玉2つ入れておきました。

自分のようにみんな善人ならいいのですが…。


この地域は、丸岡地区。

丸岡と言えば、
百名城の国宝丸岡城が有名。
最古の現存天守と、言われてます。

ただし、街道から遠いので今回は寄り道やめました。
2年ほど前に訪れてるので、行かなくても構わない。

丸岡駅で10分ほど休憩し
北上する。

あわら市に入ると街道沿いに『蓮如道』と書かれた灯籠が10m間隔であらわれる。
昨年設置したそうです。

街道歩きにとってこれは嬉しい!

張りがでます。

16時30分
なんとか無事に日没前に芦原温泉駅に到着しました。


芦原温泉は福井県の最北端。

次回はいよいよ、県境越え
石川県へ突入です!

というか、
せっかく芦原温泉に来たのに
温泉に入れないなんて…。


Φ(*^ひ^*)Φ
例のごとく福井駅で乗り換えのためホームで待機してたら、

構内アナウンスあり
『特急指定席から自由席への移動は、順番待ちのお客様に迷惑になりますので、お辞めください』

最初、なんのことかわからなかったが、自由席に乗るためにホームで長い行列ができてるのを見て、意味がわかった!

指定席の乗車口は空いてるので、
指定席から乗って自由席に移動すれば、早く席を確保できる
という裏技ですな。

これはいいことを教えてくれた。
また1つ賢くなりましたよ。

といっても、貧乏人の我が輩、
特急に乗ることは滅多にないけどね…。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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万葉の里 蒲生野へ

2018-11-10 17:47:20 | 旅行
本日はJRハイキングに参加した。
集合駅は近江鉄道朝日野駅。

駅舎も無い無人の殺風景な駅です。

参加者は、なんと!
たったの4名。
東近江市のガイドさん2人足して
総勢6人。

今までいろんなツァーに参加してきたが、6人というのは前代未聞、初めて。

この時期の休日は、ツァーが山のようにあり、どうしてもみんな有名な観光地に集中する。

何もない田舎の道を12kmも歩くコースなんか、人気ない。
4名も集まったのが不思議なくらい、ですわ。

そんなわけで、少人数で旧蒲生町内を巡りました。

蒲生町は、周りを山に囲まれた小盆地、古代は蒲生野と呼ばれた野原・湿地帯でした。

それを開墾したのであたり一面見渡す限り平地で、わかりやすい町になった。

ガイドさんの話によると、
ここは200万年以上前、古代琵琶湖だった。
ある時、鈴鹿山系の火山が噴火しその火山灰が湖東平野を覆いつくした。
その名残の地形が今の姿。
地質も湖東流紋岩…

タモリさんに聞かせたい解説でしたわ。

途中、『人魚の里』がありました。
日本の人魚の発祥の地、といってますよ。
人魚のミイラが3体あり、1つは地元の寺に、1つは新潟県、もう1つは高野山の麓の寺にあるそうです。

ガイドさん、何度も見たけど真っ黒らしい。
たぶん燻したのでしょうね。

ここだけの話ですが、
この人魚のミイラ、

実体は、頭が猿、胴体は鯉。
誰かが継ぎ合わせたらしい

とてもとても西洋風の綺麗な人魚姫と、かけ離れてる

ありゃま、ですな。


最後に訪れたのが、石塔寺。
名前のごとく石塔が山のようにあります。
すっごい数ですわ。

石塔は隣の近江八幡市の岩山から運んだそうです。

いやそれより、紅葉がちょうど見頃でした。




何よりも地元のガイドさんのレアな話を聞けたのが良かった

人数が少ないと、マイク無くても話が聞ける。

今日は、秋の良き日のいい探索になり、勉強にもなり、
のびのびと歩けました😄


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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桐生さん

2018-11-09 22:08:15 | 日記
昨夜のNHKテレビで
今年、日本人として初めて100m9秒台に突入した桐生祥秀選手の由来が紹介されてました。

桐生姓は、我がひこにゃん市はもとより滋賀県内でも極めて稀、ほとんどいません。

ルーツは、群馬県桐生市だそうな。
桐生市の由来は、いまいちよくわかってないが、
番組では、最初に土地を切り開いた開墾者「切生六郎」が「桐生 」六郎に改名したのが由来らしい。

この桐生氏の子孫が桐生選手に繋がってるのかも?

そして、

この開拓者精神が桐生選手に受け継がれてる、という結論でした。


うまいことこじつけましたな

Φ(*^ひ^*)Φ

今朝のNHKアサイチのゲストに
篠原涼子さんが登場してました。

今やドラマにかかせない人気女優さんになってますね、

この篠原涼子さん、

なんと!
桐生市出身だとわかった。

地元の観光大使として無料で広報に協力されてるそうです。

この人にも開拓者精神が受け継がれてるのかな?


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

本日11月9日、
んまのすけさんの命日。

あれから11年、

合掌!


アドレスを変更したため
もうGREEに入ることができない

んまのすけさんのページはどうなってるのだろうか?

というか、宮津市に行かねばならないな

なかなか行けないけど…。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き12】国道歩道橋~追分分岐

2018-11-09 16:48:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

国道を渡り側道の上り坂を進む


蔵の板壁に

「煌めき大津賞
都市景観部門賞受賞」



街道らしい雰囲気ですな

時刻は、
12時09分

ちょっとお腹空きました
それよりもトイレに行きたい

で、ここから国道の反対側の藤尾市民センターへ行ける

寄り道になるけど、トイレを借りるために国道の反対側へ向かった

公園あり、
ここでパン食べました

向こうに像が2体見えるが、
この時点では全く気づいてなかった…。

この建物も何なのかわかってなくて…。
我ながら信じられない
事前に調べとくべきなのに!


公園から国道に向かうと

国道の手前に
『井筒八ツ橋本舗追分店』

バスが停まってます。
京都の出入の休憩スポットとして団体客に人気らしい。

いいものを見つけたぞ!

駐車場に

坂上田村麻呂像
天智天皇像
先ほど公園から見えてた像です

一枚の御影石から掘り出した像としては国内最大級だということです。

店のオーナーの津田さんが、
大津市の観光に役立てたいということで建てられました


大津絵発祥の地の石碑


走り井の名水の解説板


日本そろばん発祥の地の石碑

店の中に入ると団体客でごった返してました。

早速トイレを借りた。

生八ツ橋、たくさんの種類があり
順番に試食しました。

お茶のコーナーもあり
試食だけでも満腹満腹!

昼1食助かりますよ。

これなら公園でパン食べなくても良かったな…。


食い逃げするのは申し訳ないので

お土産に「走り井餅」を買いました。

ちなみに、
井筒八ツ橋本舗追分店は、走り井餅本家を兼ねてますが、
走り井餅屋さんの後継の方が現在は京都府八幡駅の近くに店を出しておられます。
国宝岩清水八幡宮に参拝される時は是非とも寄ってみてね。

市民センターに立ち寄る必要無くなったので、
12時30分
再び街道に戻りました

左手に

『旧藤尾小学校跡地』石碑

少し後戻りして

『牛尾山道標』

下の方が地面に埋まってます

牛尾山観音は山科と石山寺の間の山の中にあります


上横木町地蔵尊



坂の角度が上がっていく
『閑栖寺』
かんせいじ、と読む

門の前に車石と東海道の道標あり。



『追分町自治会館』

解説柱あり。

東海道と奈良街道(伏見街道)の分岐で、
分かれ道で馬子が馬を追いかけるから「追分」という地名になった。


12時37分
街道の分岐に来ました。






その13へ


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【旧東海道歩き11】四宮駅~国道歩道橋

2018-11-08 21:04:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

四宮駅から街道へ。
11時54分
右手に

山科四宮郵便局

『横木一丁目』の表示。

これより滋賀県大津市。
府県境を越えたわけです。

知らない人はみんな
この地域は京都市山科だと思ってるだろうな。

大津市から見ると

『京都市』の看板ありました

電柱に

『旧東海道』の表示

善福寺


街道の雰囲気を伝える家


徐々に上り坂になる。


12時00分
『三井寺観音道』
『小関越』道標

今歩いてる逢坂山越えの旧東海道を「大関」と呼ぶ。

その北側に三井寺と山科を結ぶ脇道があり、これを「小関越(おぜきごえ)」と言います。

以前、滋賀県主催の探訪で歩いたことがある。
峠越えだが、琵琶湖疎水もあり比較的歩きやすい。
人気のハイキングコースになってる。
この記事は後日ブログアップします。
この時は三井寺から歩いたので、
次は、この道標から逆コースを歩いてみたい。

また、宿題が出来たぞ!

隣にスーパーがあるので、
食料調達するにはここが便利


『車石』あり。

荷車で、先に訪ねた日ノ岡の峠とこちらの逢坂山峠を越えるのが難所でした。

その対策として車石が考えられたのです。




横木地区の絵


目の前に見えてきたのは

国道1号線。
現代の東海道ですな。

国道沿いをゆくと、
旧東海道マップあり。

この付近ややこしいので助かります。

歩道橋を登る


山科側を見る


逢坂山峠方向を見る

あの山を越えなければならない

車の場合、
ここで西大津バイパス161号線湖西方面と、
国道1号線草津方面との分岐になり、
間違えると大変。

合流にも注意が必要です。

昔、西大津バイパスは有料だったので「藤尾南ランプ」という表示が今も使われてる


国道の反対側へ出ました

詳しい解説書があります。

北国街道もこういうのがあればいいのだけど…。



その12に続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き10】山科駅~四宮駅

2018-11-07 17:41:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

午前中、毘沙門堂を拝観した。


京阪電車の踏切を渡ると

旧東海道に突き当たる

ここを左折しました。

今気づいたが、
三条大橋から山科駅まで歩いた時は
駅前交差点から駅へ曲がった。

つまり、駅前交差点からこの交差点までは、歩いてないことになる。

不覚でした!

わずか200mほどだが、抜けてるぞ!

後日、いつか歩くことにします。

ともかく、東へ向かいます

諸羽神社の鳥居

由緒書があるが、読めないので、
京都市のHPの解説を紹介

 天孫降臨(てんそんこうりん)の神話の中で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の左右に従った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るところから、兩羽(もろは)大明神と称したという。
貞観(じょうがん)四年(862)、清和天皇の勅命でこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。
 この後、正殿(せいでん)に応神天皇、脇(わき)殿に伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)・若宮八幡を合わせ祀るようになり、社名の「兩羽」の文字も「諸羽」に改められた。
社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。
 当社は、山科一八郷の中で第四番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神(うぶすなのかみ)として人々に崇敬された。  
神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に、「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出で・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。山科区四ノ宮中在寺町

【正式名称】
諸羽神社
【住所】
四ノ宮中在寺町

Φ(*^ひ^*)Φ
山科の第四番目の神社なので四ノ宮と呼ばれるようになった、とある。

これが、四ノ宮地名の由来と思いきや、

『この地を四ノ宮(四宮河原)と名づけるのも人康親王が仁明天皇第四皇子であったが故に、「四宮殿」と呼ばれたのにちなんだというのである(「四宮家文書」四宮殿伝記、「十禅寺再興縁起」)。 』
という説明を発見。

さて、どちらが正解なのだろうか?


ともかく、神社の本殿は
線路の北側にある。

今回は寄り道しないでこのまま街道をゆくことにしました

『圓光寺』

線路際に本堂があるようだが、
こちらもパス。

『十禅寺』

こちらも本堂は線路の向こうです。

『山科地蔵徳林庵』

地蔵尊は、平安時代に小野篁がつくった。

山科六地蔵の1つ。

南禅寺派の寺で、第四皇子人康親王の菩提を弔うために建てられた


井戸がある。

側面に
「京都・大坂・名古屋・金澤・奥州・上州、宰領中」と彫られてる
街道をゆく牛馬の水飲み場として管理された。

地蔵堂




隙間からのぞいたら

綺麗なお地蔵さまがいらっしゃいました。

人康親王・蝉丸供養塔があります。




四ノ宮川を渡る



国道の抜け道かな?

車の往来が多い



11時50分
『四宮駅』京阪電車

線路を越えると、
『波切不動尊参道』道標

昔、この北の方の山の中に不動尊があったようです…。

街道に戻ります

この日は峠を越えなければならないので
あまり寄り道はしません!


その11に続く

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きんぼり~ ゆるキャラ

2018-11-05 17:13:04 | ゆるキャラ
2018ご当地キャラ博in彦根

『きんぼり~』
東京都墨田区錦糸町

錦糸町の魅力を調査し、PRしているキャラクターである。


登場シーン
いきなりコケて受ける

右手下のひまりさん、喜ぶ



ホームページの解説を紹介

「きんぼり~」(本名:錦堀 圭)、この町を誰よりも愛している♡♡ 大好きな錦糸町の事を詳しく調べる為、探偵事務所まで開いてしまった! 助手の「くぼんぬ」と共にあらゆるお店をスコープ(?)片手に今日も飛び回る!



よく喋るキャラさんですわ


探偵キャラです

「きんぼり~」の由来となったのが錦糸堀公園なのですが、

錦糸堀の地名由来は、さっぱりわからないそうです。

江戸時代、幕末にこの名前で呼ばれてたらしい

としか、わかってない。

江戸城の堀というよりも
城下町の水路のようですが…。


【動画】






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ようやく国宝に指定されました。

2018-11-04 18:00:25 | 日記
今日の予報は曇りだったが、朝から雨が降ってました。
傘がいらない小雨でしたが…。

朝、買物に行ったら雨の中を中山道歩いてる人を見かけた。
ご苦労様ですわ。

昨日、東海道歩いて正解だったですな。
今日は午後から市内の大学で講演会があり、参加しました。


10月末日に正式に国宝に指定された菅浦文書関連の講演です。

ブログで何度か紹介してるが、
庶民が書いた文書群が国宝に指定されたのは、菅浦文書が唯一です。

この文書群は菅浦地区で保管するのが難しいため滋賀大学で全部管理されてます。

そのため、大学の資料館で今回の記念講演会が開催されたのです。

天気悪いのに会場に入れないほどの人が訪れましたよ。


文書群と1つだけ絵図がある。

菅浦地区が裁判に勝つための証拠として作成されたもので、
竹生島がわざと大きく描かれてます。
菅浦は竹生島弁才天と仲良し、
これはすなわち比叡山延暦寺と結びついてるということを強調するためなのです。

菅浦文書といえば、中世の文書が注目されてるが、近世や近代の文書も残されてる。

江戸時代1738年(午年)に大規模な山崩れと洪水があり、菅浦地区は領主の膳所藩に年貢の減免を申請してます。
この災害を『午年山崩』と呼び、
幕末までずっと年貢の減額が続けられたそうです。

午年とは…。

また、獣の被害も甚だしく、
約5.5キロにわたって『猪垣』を設置した。

江戸時代から猪に悩まされてたのですね。

Φ(*^ひ^*)Φ
余談ですが、近年日本史の教授の成り手が減っていて、
大津市の滋賀大学教育学部では日本史の教授が1人しかいないらしい。

いやぁ、大変なことになってますね。

博物館の学芸員も募集してもなかなか来てくれない。

好景気と少子化のせいかな?

困ったご時世になったもんですわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今朝、『いつまで、寝てるの?』

と、母にたたき起こされた


という夢を見た…。



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鈴鹿峠を越えたぞ!の巻

2018-11-03 21:57:00 | 旅行
本日はお日柄も良く、我が地元では城まつりがおこなわれ、俳優の冬彦さんが来てくれました。

だが、
我が輩は、ひねくれ者、我が道をゆくのみ。

というわけで、
本日は旧東海道歩きをしました。

難関といわれる峠越えなので必死の覚悟でもって、
スタート地点の土山宿へ。

10時過ぎにスタート!

しばらく歩くと
後ろから次々に歩く人に遭遇。

街道歩きでこんなにたくさんの人と一緒になるのは初めて。

みなさんバラバラに歩いてるけど、
同じマップを持ってる

どうやら何かのツァーのようです。

同行者がいると心強いものがあり嬉しい。

1時過ぎ、鈴鹿峠に到着。
昼食休憩する。

親子と思われる女性二人組から
飴ちゃんをもらった。

年配の男性二人と話をする。
遠鉄バスのツァーで、土山宿から峠を越えて坂下宿まで歩くのが目的だとわかった。
遠鉄と言えば、浜松ですな。
さらに、深く聞いてみると、
この二人は、井伊谷に住んでるそうです。
いやぁ、びっくりポン!

昨年、井伊谷龍潭寺に行ったので
話が弾む。
というか、同じ井伊家繋がりじゃないですか!

そんなこんなで、休憩が長くなってしまった。

ツァーの人は坂下宿にバスが待っていて、それで帰るそうです。

我が輩は、坂下宿の次の関宿まで約9キロ歩かねばならぬ。

ここからは下り坂なのでいやでも早足になる。

あまり寄り道するところもなくて
頑張って歩きました。

峠を越えるとほとんど国道1号線沿いばかり。

しかし、関宿に着いたのは5時前。

秋の日はつるべ落とし。

一気に真っ暗になり宿場を見学するのは無理。
店や観光施設もみな閉めてます。

やむを得ないですな。

街角に貼ってたポスターを見ると、
明日は関宿まつりがあるようです。

明日来るべきでした!

残業無念。

関駅には5時半に到着。

隣に道の駅があるので土産を買って帰りました。

歩数は32000歩

無事、15キロの峠越えができました。

まずは、ホッとしてます。

これで京都三条大橋から関宿まで達成です。

残り、関宿からお江戸日本橋まで
あと約420キロあります。

さて、何年かかるだろうか?



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京都山科毘沙門堂、3

2018-11-01 21:56:00 | 旅行
2017年12月2日(土)

境内を出ました


紅葉を見上げる


薬医門が見える



勅使門を見上げる


石段の横の端の地道を歩いたら警備員の人に注意された。

落ち葉で滑るから危ない、という理由です。

ほっとけ!

いっぺんに気分悪くなったわ

動画にまとめました


毘沙門堂【動画】




西へ向かう


『山科聖天』

正式な名前は双林院。



男女合体神が安置されてるが、
見せてもらえません。

お不動さん

こちらは人少ないし、
紅葉の穴場スポットですわ。



この道を行くと山のなかを通って南禅寺方面へ行けます。

行きたかったが、
本日の目的は旧東海道歩きなので
あきらめました。

紅葉をもっと見たいけど、

街道歩き優先なので、毘沙門堂を去ります




『瑞光院』

赤穂義士ゆかりの寺。
和尚さんが浅野内匠頭の夫人の親族だったので浅野家の祈願寺となった。
大石内蔵助の遺髪が葬られてるそうです。

12月14日に参拝すべきですな。

毎年、山科では義士まつりがあります。
一度は見てみたいけど、年の瀬は忙しい…。


疎水の安朱橋


坂道を下り、


JRの線路に来ました



この後、旧東海道歩きをします


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