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【旧東海道歩き10】山科駅~四宮駅

2018-11-07 17:41:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

午前中、毘沙門堂を拝観した。


京阪電車の踏切を渡ると

旧東海道に突き当たる

ここを左折しました。

今気づいたが、
三条大橋から山科駅まで歩いた時は
駅前交差点から駅へ曲がった。

つまり、駅前交差点からこの交差点までは、歩いてないことになる。

不覚でした!

わずか200mほどだが、抜けてるぞ!

後日、いつか歩くことにします。

ともかく、東へ向かいます

諸羽神社の鳥居

由緒書があるが、読めないので、
京都市のHPの解説を紹介

 天孫降臨(てんそんこうりん)の神話の中で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の左右に従った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るところから、兩羽(もろは)大明神と称したという。
貞観(じょうがん)四年(862)、清和天皇の勅命でこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。
 この後、正殿(せいでん)に応神天皇、脇(わき)殿に伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)・若宮八幡を合わせ祀るようになり、社名の「兩羽」の文字も「諸羽」に改められた。
社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。
 当社は、山科一八郷の中で第四番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神(うぶすなのかみ)として人々に崇敬された。  
神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に、「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出で・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。山科区四ノ宮中在寺町

【正式名称】
諸羽神社
【住所】
四ノ宮中在寺町

Φ(*^ひ^*)Φ
山科の第四番目の神社なので四ノ宮と呼ばれるようになった、とある。

これが、四ノ宮地名の由来と思いきや、

『この地を四ノ宮(四宮河原)と名づけるのも人康親王が仁明天皇第四皇子であったが故に、「四宮殿」と呼ばれたのにちなんだというのである(「四宮家文書」四宮殿伝記、「十禅寺再興縁起」)。 』
という説明を発見。

さて、どちらが正解なのだろうか?


ともかく、神社の本殿は
線路の北側にある。

今回は寄り道しないでこのまま街道をゆくことにしました

『圓光寺』

線路際に本堂があるようだが、
こちらもパス。

『十禅寺』

こちらも本堂は線路の向こうです。

『山科地蔵徳林庵』

地蔵尊は、平安時代に小野篁がつくった。

山科六地蔵の1つ。

南禅寺派の寺で、第四皇子人康親王の菩提を弔うために建てられた


井戸がある。

側面に
「京都・大坂・名古屋・金澤・奥州・上州、宰領中」と彫られてる
街道をゆく牛馬の水飲み場として管理された。

地蔵堂




隙間からのぞいたら

綺麗なお地蔵さまがいらっしゃいました。

人康親王・蝉丸供養塔があります。




四ノ宮川を渡る



国道の抜け道かな?

車の往来が多い



11時50分
『四宮駅』京阪電車

線路を越えると、
『波切不動尊参道』道標

昔、この北の方の山の中に不動尊があったようです…。

街道に戻ります

この日は峠を越えなければならないので
あまり寄り道はしません!


その11に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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