馬ひでの助

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【旧東海道歩き19】札の辻分岐~吾妻川

2018-11-29 16:32:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

大津市、西近江路と東海道の分岐の
札の辻を右折し、京町通りを東へ向かう


上の看板に旧東海道の表示



吉田医院横に
「京町の由来」




ちょこっと宿場の雰囲気


中央二丁目南の交差点を突っ切る

徳永用品店横の四つ角に

『此付近露国皇太子遭難之地』石碑

有名な大津事件があった場所です。

ロシア皇太子に斬りつけた犯人の津田三蔵は、西南戦争では八代市まで従軍してます。

この時に怪我をして戦場から退くが、
西南戦争で勲章をもらった津田巡査は、大津市に立つ西南戦争記念碑に対してロシア皇太子ニコライ一行が敬意を表さず、西郷隆盛を復活させると邪推し、自分の勲章がはく奪されることを恐れた結果、襲撃に及んだ。

という説があります。
真偽のほどはよくわからないが、
このことを
大河ドラマ西郷どんの作者は知ってるのだろうか?
知ってたらドラマで触れてほしい!

て、無理やわね。


街道をゆく

あゆら


大津魚忠


餅兵

お腹空いてきた…。


唯泉寺


京町三丁目、旧東海道の表示

『華階寺(けかいじ)』

門前に、
「俵藤太矢根地蔵月見石」石碑
ここに俵藤太の屋敷があったとか?
ムカデを退治した大矢の根(鏃)で彫った地蔵があるらしい。

中に入ってないのでわからない。

ちなみに今回は立ち寄ってないが、
すぐ近くに天孫神社がある。
大津祭りが有名ですね。

『京町通り』の由来

この通りは、江戸時代に「大津百町」として賑わった旧大津市街地を東西に貫く三本の通りの一つです。

この通りは、旧東海道とも重なっており、京都への道筋にあたるところから「京町通り」と呼ばれてきました。
かつては多くの商家が軒を連ね、分岐点にあたる札の辻以西は、北国街道となっていました。




さらに東へ

『近江度量衡株式会社創業記念館』

計量器、はかりの会社ですね。
1900年創業なので、118年目です。

右手に滋賀県庁。

2年前に国の登録有形文化財に指定されました。

全国の県庁、高層ビルが増えてるなかで貴重な県庁舎です。

『旧境川町』由来

この東に吾妻川が流れてる。
吾妻→東
この川を越えると東国だと考えられてたようです。

東国へ向かう



右手に「清源寺」

『吾妻川』です

あがつまがわ、じゃなくて
あづまがわ、です。
念のため。

琵琶湖へそそぐ細い川です

ときわばし、

漢字で書くと常盤橋かな?




その20へ続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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