馬ひでの助

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【旧東海道歩き18】蝉丸神社~札の辻

2018-11-23 17:53:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)


蝉丸神社を出て北上すると
現在の東海道本線の上を通る

この逢坂山トンネルのなかに電車が入ると耳が痛くなるから嫌なんですが…。

さらに下ると
『妙光寺』

こちらもイチョウが素晴らしい

外から見ただけです。

この付近の寺社は京阪電車が参道を分断してる

次に
『小町湯』

小野小町が浸かったお湯だとか?
玄関の唐破風が古い由緒を想像させられます。

今や町の中の銭湯は貴重ですな。


春日町


御幸町(みゆきちょう)交差点


ここで、少し寄り道
……………………………………………………


左へ向かうと
京阪電車『上栄町駅』

狭いため、上下線のホームが離れてます。

だから、改札口も別々にある。

ホームの幅も狭い

駅の北側に
『犬塚の欅』

京都から大津へ逃げてきた蓮如上人が他宗の門徒(おそらく天台宗だと思う)によって毒殺されかけた時に、
忠犬が身代わりになって死んだ。

なので、ケヤキを植えて弔った

というお話。

合掌!

北側に
『大津赤十字病院』

反対側に

本長寺、大津代官菩提寺と書いた看板。
ただし、キリンの絵の建物は、本願寺近松保育園だと思う

『本長寺』


代官の墓の石碑もある。

石原代官と小野代官がいた。




墓地の中に入る


小野家の墓


大津寄家之墓がある


山形藩士の墓も。

江戸時代、大津奉行があったが、
基本的には京都奉行の支配下にあった。
後に大津代官が、大津町を治めるようになった。
明治維新後は、大津裁判所→大津県→滋賀県へと変遷します。

江戸時代の朝鮮通信使は、
京から逢坂山を越えると大津代官菩提寺の本長寺で休憩、宿泊したそうです。


一旦、街道のある電車道(京阪電車が路面電車に)に戻ったが
すぐにまた寄り道

『蓮如上人近松御旧跡』石碑

北国街道を歩くと嫌というほど蓮如上人が登場します。
というか、福井県では北国街道よりも蓮如道のほうが馴染み深いようです。

『是より半町』

で、突き当たりに
『近松別院』

蓮如上人が開いた寺。
蓮如上人は京都東山大谷の本願寺が延暦寺に攻撃されて潰され、近江に逃走。
山科本願寺が再建されるまでの10年間、ここが事実上の本願寺でした。

先ほどの犬塚も近松別院の一部です


寄り道終わり!

……………………………………………………

街道に戻りました。

前方に見えるのは東横イン、
正式には
「東横イン京都琵琶湖大津」
という長ったらしい名前。
大津だけでいいのにわざわざ改名して京都琵琶湖を入れたのは、京都の観光客を大津に呼ぶためです。

知らない人は、大津や琵琶湖は京都の一部と受け取ってしまうのでは?

15時00分
『京町一丁目』交差点
ここは札の辻。

真っ直ぐ行けば、浜大津(大津城跡)
左に行けば、北国海道(西近江路)、
そして、右に行けば
東海道です。

大津宿は、東海道五十三次の53番目、つまり最後の宿場で、
東海道では最大規模だったとか?

大津町の人口は17000人を越え
本陣2軒や脇本陣1軒、200軒近い旅籠が軒を並べてたそうですが、
その面影がイマイチ…。




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