馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

伝安土城…探訪講座 前編

2019-03-10 21:57:00 | 城跡
昨日は、滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭探訪がありました。

最後が良ければすべて良し!
上天気すぎるほどの上天気になりました。
まさに探訪日和☀️

安土駅に集合。

某県知事が、安土城天主を建てたい!
と、爆弾発言されたので、安土城の人気沸騰。
募集定員90名以上の参加者があり、早くにソールドアウトしたとか?

我が輩としては、城下町も城もほぼ行きつくしてるので確認のために参加したようなものだったのですが…


100名の大軍団が町内を移動。

下街道(朝鮮人街道、上洛道)を進み、
安土城に到着。

山に登るのは5、6年ぶりかな?
すったもんだの末、トイレと駐車場は無料になったが、入場料は700円に値上げされてる。

同じ特別史跡のひこにゃん城と張り合ってるようです。

人数多すぎるので、2班に分かれて登城。

なんと、おもてなし武将隊がお出迎え。

武将隊のうちの1人はたぶんあの人だと思うが…

伝大手道と言われる石段を登ると最初に左手に見えるのが、伝羽柴秀吉邸跡。

あくまでも「伝」です。
確定してるわけじゃない。
右手の向かいには、伝前田利家邸跡。

秀吉と利家は仲が良かったという理由で名づけられた。
何の根拠もない命名ですが、名づけられると、いつのまにかこれが一人歩きする。
伝がとれて、ホントにここに羽柴邸と前田邸があり、
隣合わせなので、おねさんとまつさんが味噌汁のやり取りをした、
などというまことしやかな話がでっち上げられて、観光ガイドさんが観光客に面白おかしく話してるとか?

いやはや困ったもんですな。

さらに前田邸の上の現在の総見寺は伝徳川家康邸となってるが、当時信長の家臣ではなかった家康の屋敷がここにあるはずがないのです。

石段に石仏がいくつも残されてる。

お賽銭をあげてる人もいます。
石仏を石段に使うなんて信長はけしからんヤツだ!
と怒る人も多いのですが、信仰観念というものは時代と地域によって変化するものなのです。

戦国時代、石仏を石垣の材料として使用した例は、いくつもある。
石段に使う例は聞いたことないぞ!
踏絵のつもりか?
という人もいる。
せめて、石仏を立てるべきなのでは?
そんなわけで、発掘担当者は、横倒しになった石仏を立てた。
すると、地元の人から怒られたそうです。
石仏には霊がやどっている。
封じ込められてる。
その霊がさ迷うことになる。
どうしても立てるならそれなりの供養をすべきなのだとか?

なるほど、難しいものですね。

山頂の守備の肝心要ともいうべき黒金門に到着。

折れ曲がりの枡形といわれる部分で石垣に巨石が使われている。
そして、これより上の石垣には赤っぽくなったものが散見されるようになる。
安土城炎上の痕跡です。

これより山頂の主要城郭内になる


後編に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする