馬ひでの助

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【旧東海道歩き45】矢倉橋~草津宿中山道分岐

2019-03-28 16:48:10 | 東海道歩き『近江路』

"2018年5月12日(土)、草津市




北上すると、大きな川が見えてきた。

15時40分、
(新)草津川の『矢倉橋』



草津川は天井川でたびたび洪水が起きて被害が多かった。
そこで新しく放水路が造られた。



これが、新草津川です。

川を越えると左側に

『立木神社』




境内に東海道と中山道の分岐の道標がある。
本来は分岐地点の追分にあったが、こちらに移された。

「みぎはハたうかいどういせみち」
右は東海道伊勢道



「ひだりは中せんたうをた加みち」


左は中山道お多賀道
「京みぶ村万宝院あしだの行者」

江戸時代、1680年に京都壬生村のあしだの行者万宝院が建立した。
滋賀県内最古の道標と言われてます。

神社の横を流れるのが「伯母川」。



これより、草津宿の中心地に入っていきます。

『雑貨商八百屋久兵衛』




昭和3年の建物で、国の登録有形文化財に指定されてます。

街道の雰囲気が残されてますね。

『道灌蔵』



問屋役人太田又四郎

現在は、太田酒蔵という会社。
名前でわかるように
江戸城を築城した太田道灌が先祖。
三代将軍徳川家光の命令で草津宿を見張る役人を務めることになった。
その後、幕末に酒蔵業を始めたそうです。
名酒「道灌」一度飲んでみたいものですな。

ここは草津政所と呼ばれ、太田家を中心に荷物の検査などをおこなった。

左手に
『常善寺』



735年、良弁の開基と伝えられる古刹。
関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は上洛道(後の朝鮮人街道)を通って草津宿のこの寺に宿陣した。
滞在した客殿は、足利義尚が鈎の陣で建てた御殿がこちらに移されたものだったそうです。
足利家ゆかりの御殿ということで、家康は大いに喜んだとか?

国重文の木造阿弥陀如来・両脇士像は、1252年南北朝時代の代表作。

駐車場の車を見ると、



24時間テレビと書いてある。

あの番組、もう30年以上見たことない。

右手に『草津宿街道交流館』



ここで、2年前だったかな
街道・宿場に関する連続講座を受けたことあります。

草津宿マンホールカードは、ここでもらった。




この奥の建物は休憩施設で、
コミュニティFM放送局がありますよ。




ベーカリー脇本陣

そして、
15時57分、
『草津宿本陣』国史跡



宿帳には、浅野内匠頭、吉良上野介、シーボルト、皇女和宮、徳川慶喜など、歴史上有名な人の名前が残されてる。
当時のままの建物です。

詳細は以前、ブログアップしたことあるので今回は中に入らず、パスしました。
ゴールデンウィークの
4月28日に草津宿場まつりが開催されます。
お越し野洲!


15時57分、
『草津追分道標』



ここが東海道→と中山道↑の分岐。

右 東海道いせみち(伊勢道)
左 中仙道美のじ(美濃路)

先に訪れた立木神社の境内にあった最古の道標(1680年)は、本来ここにあった。
この道標は、1816年に建てられた。


足元には街道マンホール



本日の歩きはこれにて終わり。
商店街の中山道を通って

草津駅にて終了。


この日は、
石山駅~草津駅まで、3万歩18キロ歩きました。

あまり寄り道しなかったので、距離を伸ばせた。

しかし、よく歩いたものです。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
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