九条政基公、慈眼院付近に宿泊した。
肥沃な日根野荘園を見て大いに満足するが、この付近は開けすぎてる。
何よりも和泉国守護細川氏の拠点の佐野地区に近い。
いつ寝込みを襲われるかもしれぬ。
屋敷の防衛上ちょっと心もとないため、
九条公は翌日さらに奥の大木地区へ移動し、居館を定めて本拠としました。
その大木地区へ向かう手前にあるのが、
土丸城、雨山城。
城跡も国史跡の日根野荘園遺跡に追加指定されました。
天気悪いので、躊躇したが
思いきって登ることにした。
2019年3月17日(日)
13時53分
阪和道の高架下。
すぐ横に左へ向かう道がある
しばらく進むと
14時03分、
土丸城への登山口
登山道が整備されてるが急斜面の連続で大変。
九条政基公が本拠とした大木地区を眺める
谷あいに、いい景観が残されてるらしいが、
残念ながら城に登ったために結局、
行くことはできなかった。
残念無念…
大阪湾方向を見る
溜め池群、
向こうに関空、
さらにその向かうは淡路島かな?
急に天気が晴れてきたのは良かったが、暑いのなんの!
大汗かいた。
平な場所に出ました。
いよいよ城内のようです。
14時29分、
神社がある。
『土丸城跡』です。
看板の説明書によると、
「天平元年(729)年、地元の豪族日根野氏によって築かれた。
同三年高師泰が…」
あれ?おかしいぞ!
高師泰は、南北朝時代の武将。
時代が合わない。
ネットで調べると、
正平二年(1347年)、北朝方の日根野盛治が築いて籠もったが、南朝方の雨山城と対峙した。
とある。
でたらめな看板や!
なお、日根野氏は守護側だったために九条政基公と対立した。
日根野氏は土丸城で大木地区を監視し、土丸地区には盛んに横領を繰り返したとか?
しかし、九条公は村人との強い連帯で、守護勢力や根来寺を排除し四年間、現地で荘園経営を守ったのでした。
主郭の背後に空堀と土塁があるが、
倒木が邪魔してます。
次に雨山城へ向かう
この先端から尾根道を降りる
一旦下りになるが、
また上りになる。
向こうに山が見える
登山道整備されてるが、険しい所もあるので注意必要。
そして、
14時47分、
看板あり。
雨山城への入口だ。
続く…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪"