馬ひでの助

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【旧東海道歩き25 】和田神社~膳所城中大手門跡

2018-12-19 16:56:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

旧東海道は、響忍寺の前の道を約300m進み右折すると膳所城と並行するように直進する

右手に

11時55分、

『和田神社』

白鳳年間の創建。

本殿は、一間社流造、屋根は檜皮葺。
正面に軒唐破風がある。
この様式が鎌倉時代の様式をあらわしてるので、国重文となった。



昨年3月の探訪の時は桜が咲いてました。


すっかり落葉してますが、このいちょうの木は、琵琶湖からの目標になるほどの巨木。
関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が京都に護送される途中、この木に繋がれた。

高麗門は、膳所藩校遵義堂の門を移築した。

明治維新になって膳所藩は、財政難となり、お城を維持するのが難しくいち早く廃藩届を出した。
その際、天守や石垣など売りに出されました。

現在、膳所地区の寺社などに門などの建造物の一部が残されてる。

この高麗門もその1つです。

*『高麗門』とは、
秀吉時代以降に造られ、寺社や城の門として採用された。
柱が4本。
前柱の2本の上に切妻屋根が乗り、
後ろの控え柱2本の上には小さな切妻屋根が乗る


わろてんかのポスター。
この人、今も活躍してるのかな?


たこ焼き屋を前を通り真っ直ぐ進む。
右手に
『縁心寺』

旧膳所城主御菩提所と書かれてます。

藩主は色々代わってますが、こちらは本多家の菩提寺。
膳所藩本多家初代藩主本多康俊の父が徳川四天王の1人の酒井忠次で、
その忠次の菩提を弔うために創建された。
最初は三河国西尾にあったが、こちらに移された。

さらに、膳所藩主だった戸田一西夫妻の墓も境内にある。



墓地に入りました。





残念ながら、戸田家の墓は見つけられなかった。


さらに進むと交差点があり、



ここに大手門がありました。




ここで一旦街道を離れて、寄り道。

城跡と城下町を探索します。

その26へ


Φ(*^ひ^*)Φ

今日は暖かく天気が良いという予報だったので、朝から窓拭きした。

しかし、

天気悪いぞ!

冷たい風が吹いてるぞ!

あーさぶー!

天気予報のお姉さんに騙された


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

ようやく、年賀ハガキ買いました。

でも、まだ書きません

三連休終わってから書くわ。

相変わらず、なかなか前に進まない年末の今日この頃です。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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