馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【旧東海道歩き23】膳所馬場~相模川

2018-12-14 16:41:06 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)


前回、馬場北町会館の前を通ったが、会館の裏側
というか、西武百貨店の向かい側に

『馬場児童公園』がある。

県の探訪の時に休憩のために立ち寄ったが、
実はここに芭蕉の句碑がある。
∇『草の戸や日暮れてくれし菊の酒』
義仲寺無名庵に住んでた芭蕉が元禄四年九月九日に詠んだ句。
重陽の節句の日ですわ。
節句では一番マイナーな日ですが、
この日に菊の花を酒に浮かべて飲むと健康長寿になるそうですよ。

残念ながら、石碑を撮影してない

うーん…。

寄り道はこれくらいにして
街道を行きます。

平野小学校東の交差点から東へ向かう

11時28分。
右手に煙突。

「大津板紙」という工場の煙突です。
板紙とは、段ボールの原紙のこと。
回収された古紙を再生してつくるそうです


四つ角に来ました。
街道は先で右にカーブしてます。

ここに
『膳所城北総門跡』石碑

門番がいて街道をゆく人を見張ってたようです。
これより膳所城下町に入ります

道を折れ曲がりにして見通しがきかないようにしてるのです

しばらく直進

右手に

『法傳寺』

左手に

『桃源寺』

そして、右手に
『石坐神社』

いわい、と読む。
読めませんね。

いつ建てられたのかよくわかってないが、この地域を開発した治田連(はるたのむらじ)の先祖の彦坐王(ひこいますおう)、天智天皇、大友皇子、伊賀采女が祀られてる。
この四柱の神像は非公開ですが、国重文に指定されてます。

なので、この神社は天智天皇の頃に創建されたかも?

ただし、関ヶ原の戦いの時に西軍がここに陣所を置いた。
戦いに敗れて、境内を焼いたため古記録や宝物が焼失したそうです。

しかし、鎌倉時代に建てられた本殿はなんとか残りました。

県の指定文化財となってます。

天智天皇といえば、近江神宮ですが、こちらにも立ち寄ってほしいものです。

ちなみに現在は八大龍王神をアピールしてます。

昔、琵琶湖は日本海の入り江だったが、その街道がふさがれて淡水湖が誕生した。
これが淡海・琵琶湖で、このびわ湖の神様が石坐神社に鎮座されてるそうです。

びっくりポンですね。


街道をゆく。


今度は左に折れ曲がります。

前方に平和堂あり!

平和堂(フレンドマート大津西の庄店)横の相模川の橋を渡る



その24へ続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする