老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

ボニン浄土

2022-12-29 17:36:01 | 老人日記
     

たまたま図書館から借りた本。
眼が疲れたが、二日間で読んだ。

⛵ペリー提督の子孫、5代目のマシュー・ペリーさんが11月、小笠原諸島の父島(東京都小笠原村)を初めて訪問したと言うニュースを目にした。

{約170年前、提督が黒船で浦賀(神奈川県横須賀市)に来航する前に寄ったゆかりの地。受け継いだ提督の懐中時計とともに、当時交流した島民の子孫との対面がかなった。
 父島の港は11月7日、歓迎ムードに染まった。来島したのは米国メリーランド州に住む鳥類学者で日米交流の活動に熱心なマシュー・カルブレイス・ペリーさん(81)。提督の5代目の子孫にあたる。迎えたのは、父島の最初の移住者で、米国人ナサニェル・セーボレー氏の5代目のセーボレー孝さん(65)だ。ナサニェル氏ら欧米と太平洋諸島出身の計約20人は1830年6月に住み始め、53年6月に来航した提督と交流した。
 「この日を待っていました」と港で5代目の2人は手を握り合った。マシューさんは「提督が父島に来た時に持っていた」とポケットから懐中時計を出した。金のケースの一番下に「Japan 1852」、日本を目指して米国を出発した年が刻まれている。「この時計と来られてうれしいです」
 孝さんは提督来航の記念碑な…}
ニュースの記事はこんな事が書かれていた。

 30余の島々が透き通る濃い青「ボニンブルー」の広大な海に抱かれ、世界自然遺産にも登録される小笠原諸島(東京都小笠原村)は26日、米国から日
本への施政権返還から半世紀を迎えた。

現在の村役場がある父島に19世紀前半、欧米人や太平洋諸島の人々が移り住み、その後入植した日本人らと独特の文化を作り上げた。だが、平穏な暮らしは太平洋戦争で引き裂かれる。数奇な運命をたどった小笠原の歴史を歩く。

 小笠原諸島は2011年、固有の希少生物の豊かさから世界自然遺産に登録された。人が住むのは父島(2165人)と母島(464人)だけ。
 
「小笠原は数奇な運命をたどった。その体験を語り継げる人も少なくなったね」と、村総務課長のセーボレー孝さん(60)。日に焼けた顔に、欧米系の雰囲気が漂う。「最初の移住者の5代目なんです」。島の人は米軍統治時代の名前「ジョナサン」と呼ぶ。
 19世紀初め、欧米諸国はクジラを追って太平洋へ繰り出した。捕鯨基地として注目されたのが小笠原諸島だ。

📚 さて宇佐美まこと氏著書の
「ボニン浄土」のストーリーは、江戸末期と近代の2つの時代にそれぞれ生きる、3人の主人公が描かれます。19世紀に木造の帆船が難破してボニンアイランドにたどり着いた男たち、そして、小さいころ祖父が大事にしていた木製の置物を、偶然手に入れたことで、ルーツをたどり始める中年の男性。そして裕福な音楽一家に育って、音が聞こえなくなったチェロを演奏する少年。それぞれが「ボニンアイランド」に手繰り寄せられるように、時空を超えて繋がっていきます。
「ポリネシア、欧米人、漂着した人、多様な文化を持った人たちを、受けいれて、また送り出す。そんなおおらかさをもつ場所が日本のどこかにあったということを知ってほしい」―。

ボニン浄土にはぺりーこそ出てこないが、島に寄港をする捕鯨船の事は出てくる。

浄土とは平和な極楽の世界を想像する言葉だ。

東京の竹芝桟橋から小笠原へは24時間の船の旅。

行きたいが行けない島は、本を読みつ、ボニンブールーと言う美しい海を想像し、いつものように物語の世界を夢見る吾。

読んだ小説と今日のニュース。
至福の楽しい冬籠もりだったみたいだ。


しり取り俳句から


「白」

    🚃    息白し襟立て始発電車待つ

「重」

    🐚    殻つきの牡蠣持ち重りしたりけり

「冬」

    💺    冬籠り下駄箱の上に万歩計

「去年今年」

     🛏    不夜城や医学部病棟去年今年


































 














































コメント
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