老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

藪椿

2016-12-13 00:46:13 | 俳句
  

藪椿を見つけた。
椿は春の季語。
季語にこだわることはない。
今、目の前に咲いているのは現前とした椿の花。
早くも咲いている椿を見て小躍りするほどうれしかった。
運動会の借り物競争で誰よりも早く借り物を見付けて駆け出すような気持ちと同じ。
以前は季語だの季がさなりにこだわっていたが、最近は見た物の感動を句に詠めばよいと、季がさなりを声高に指摘することは止めた。
遍路が春の季語だと、えらくいきまいて述べていた人がいた。
あえて秋遍路は淋しい秋の遍路として、詠んでもいいなぞと語っているのを聞いて、何と大きな結社の編集に携わっていながら、後ろ向きな事をとあきれた。
遍路は昨今は毎日見かける。
机上で一度も遍路の経験もなくて、季語が春と断定をしてしまうなんてもってのほかだ。
経験、云々は言い過ぎ。登山だってサーフィンだってやったことがなければ詠めないなんて事ではない。
ちょっと、この人の意見にかちんときただけ。
秋遍路だって、無理して淋しさを鼓舞することはない。秋だから淋しそうだと決めてかかって、そう詠みなさいだなぞと、、、臍がお茶を沸かしますよ。
椿は春の季語であるが、暖かい四国ではもう美しく咲いているのを見て少しばかり嬉しいときめき(興奮)を感じた。
そして季語がどうのこうのと、いらぬ事を云ってしまった。
そこで良い句が詠めれば、、だけれど、、、、、
ああ、難しいな~。

    🌺    昼暗き藪玉のやう椿咲く
コメント
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