はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.20 HAPPY BIRTHDAY キョースケ

2009-10-20 21:49:52 | ライフ
はやいもので、今日はうちの次男坊の1歳の誕生日。

よく食べるのでデブっちょなのに、だっこだっこの甘えん坊だ。
最近ようやくよちよちと歩くようになったが、さらに食欲も増しているのであまり痩せない。
顔はまんまる、というか丸よりはちょっと四角い。
生まれてすぐは「なんていい男だ」と思ったけれど、最近はちょっと?だ。
長男の小さい時は知らない人からよく「可愛いねえと」と言われたものだが、キョースケはあまり言われない。
長男が2歳くらいの時にだっこのし過ぎで、腰痛がひどくて駅から家までタクシーで帰るような日もあったが今回もそうなるのだろうか。少々思いやられる。

Vol.19 ATOM

2009-10-15 17:29:24 | 映画
長男と映画「ATOM」を観にいった。

僕などは単純なので、すぐ感動してしまうのだけれど、息子は一体どうなのだろう?そういう感動するシーンになると、じっと黙っているので、やはり感動しているのだとは思うのだけど。

映画でもコンサートでも、美術館でも、運動会でも、キャンプでも、何かイベントの後には「どう思った?」と努めて気持ちを聞くようにしている。
困ったことに最近息子は「普通」と答える。今回もそうだった。
キャリアカウンセラーのお父ちゃんとしては息子の「普通」という答えを赦すわけにはいかない。
特に何も感じなかったということはあるかも知れないが、普通と云う気持ちはないぞ。

僕などは単純なので、と書いたけれど、感動するには感動できる能力が必要だと思う。感動力とでも云おうか。感動力は自然に身についている人もいるかも知れないけれど、トレーニングして身につけるものなんだと思う。同じ映画を観て、感動できるか感動できないかの差は、人生に大きな違いを作ると思うのだ。

単純でも感動できる人間になって欲しいな、と思って毎回しつこく「どんな気持ちになった?」と聞く父であった。

Vol.18 緑風荘全焼、大ショック。

2009-10-07 17:31:54 | 妖怪
先日、座敷ワラシで有名な岩手、金田一温泉の「緑風荘」が火事で全焼してしまった。
大ショックだ。

昨年の夏休み、「河童のクゥと夏休み」の舞台を追いかけて家族で東北旅行に行った。
もちろん遠野が一番の目的だったけれど、実は二戸まで足を伸ばして「緑風荘」にも宿泊した。
映画でクゥたちが座敷ワラシの出る宿に宿泊していて、てっきりその宿のモデルを「緑風荘」だと思い込み、良く調べもしないで遠野と金田一温泉は近いものと勘違いしていた。
ガイドブックを買って計画を立てようとしたら、緑風荘のある二戸はほとんど青森との県境。電車の本数も少ないし、遠野とは3~4時間かかる距離だった。

座敷ワラシが出るという「えんじゅの間」は予約が数年先まで入っていてもちろん泊まれなかったのだけれど、宿泊者が到着する前に見学させてもらうことができた。
人形やらおもちゃやらがたくさん置かれていて、独特の雰囲気。
そこで写真も何枚かは撮ったけれど、不思議なものは何も写らなかった。

僕らが泊まった部屋は「えんじゅの間」からは少し離れていたけれど、僕らの部屋にも人形やおもちゃはたくさん置かれてあってちょっと怖い感じがした。
部屋にはトイレがなくて部屋の外に出なくてはならない。夜中にトイレに行くのは結構勇気が必要だった。

歴史があって古い建物だったけれどキレイに掃除されていた記憶がある。
発火の原因とされているお風呂もキレイだったんだけどなあ。

宿泊できたのは良かったけれど、全焼して、もうなくなってしまったのかと思うと本当にショックだ。
水木しげる翁や京極夏彦など、たくさんあった著名人のサインや写真もみんな燃えちゃったんだろうな。

言い伝えでは、座敷ワラシが姿を消すと災いが起こると云う話が多いが、やっぱり、火事が起きる前に座敷ワラシはどこかへ行ってしまったのだろうか?


Vol.17 ファシリテーション研修

2009-10-04 12:53:31 | お勉強
ファシリテーションの研修に参加した。
自己概念と人との関わり方について学んだ。

自己概念とは「自分とはこういう存在である」という自己イメージ、自己定義のことで、人は一生を通じて自己概念を発展させていく。
自己を定義することとは、いわば自己をあるタイプに分類する、枠に入れるということなのだと僕は思う。だから、定義が一つ増えれば、自分があるべき姿の範囲の檻の柵が一つ増えるのである。柵が増えるにしたがって、檻はどんどん強固になっていく。一方で檻が囲う面積が広がっていき、自己の定義の範囲が広がることで自由度も広くなる。

自己概念はすでにあるようでいて、「自分は◯◯です。」とはっきり言葉にした時にはじめて生まれるモノなのだと思う。
「僕は勤勉です。」と言葉にした時に、今後、怠けてはいけなくなる自分がそこに存在する。
「僕は几帳面です。」と言葉にした時に、服を脱ぎ散らかしたりすることが許せない自分が誕生するのである。

夢枕獏の小説「陰陽師」の安倍晴明が云う「呪」が、そういうことなのかも知れないと思った。

言葉には力がある。

以前、書道家の武田双雲の講演を聴きにいったのだが、その時に彼も言葉の力について語っていた。
自分の果たしたい目標を紙に書いて、いつも見えるところに貼り出したならきっとそれは叶うのだと云う。

僕も試しに子どもに「まいにちぴあののれんしゅうをする。」と書かせて、毎日見る場所に貼り出した。
毎日とまではいかないまでも、以前と比べて格段と練習をするようになった。

「言葉の力」恐るべしである。

京極夏彦が脚本を書いた「ゲゲゲの鬼太郎’90シリーズ」の「言霊使いの罠」。当時録画したビデオを紛失しまったので、この度、その話が収録されているDVDを購入した。僕は「よくできた話で、やっぱり面白いな」と云う感想だが、いつもと何となく違う鬼太郎の話に、子どもはショックを受けたようで、見終わった後しばらく様子が変だった。

ファシリテーションの研修のことを書かなかったけど、実はすごく勉強になった。もったいないから内容は教えない。