はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.162 サヴァイヴィングライフ

2011-09-28 20:21:48 | 映画


チェコのシュルレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルが監督した映画。

平日の昼間から映画なんか観てなんてお気楽なんだろう。
会社を辞めて、もう4ヶ月が過ぎた。
何となく毎日忙しくて、あちこち動き回っている。
いろいろ声を掛けてもらうのはすごくありがたいことだけれど、実はまだ収入がない(請求書を出させてもらったところはあるけど入金はこれから)。
わずかな退職金ももう底をつき、気持ちばかりが焦る。やばい、アルバイトでもしなくちゃかも。
先週はずっと充実していてハイテンションでいたのだけれど、今週になってお金の無さがダイレクトにネガティブな気持ちにつながった。
そんな気持ちを引きずったままおそろしくシュールな映画を観るのはどうなのだろうか。

アーティスティックなだけでいいや。
メッセージや中身は別になくても仕方がないと覚悟を決めて観た。
オムニバスの夏目漱石の「夢十夜」の映画を昔観た。アーティスティックであり、目では楽しめたけど心は動かなかった。
今回もそんなところだろう。
表面で楽しめれば別に深い感動は求めないと思っていたのだけれど、予想外にメッセージのある映画だった。

「今日は映画を観よう!」と急に観たくなった映画だし、直感を大事にしたといえばそう言えなくもない。
もしかしたら、この今の折れた心持ちにして、観るべくして観た映画なのかも知れない。つまり、そこに、なんらかの意味が込められているということ。

この映画から僕は何を感じ、何を受けとめて、どう行動するのか。

認識は遺伝の記憶。

こうやって意気消沈の状態で映画を観ている自分の姿はやはり遺伝子に書き込まれていたのかも知れない。

Vol.161 レゴ・シリアスプレイ

2011-09-24 14:55:38 | お勉強
  



レゴ・シリアスプレイのセミナーに参加した。

シリアスプレイとはまじめな遊び。
レゴブロックを使って企画を考えたりビジョンを描いたりするメソッド。

考えてからつくるのではなくて、つくりながら考える。作品から意味や意図を読み取っていく。
ウィン・ウェンガー博士の「イメージ・ストリーミング」にも通じるところがある。
現在からの積み上げで未来を予測するのではなくて、未来像ありきで戦略は立てられていく。

最初のワーク、6個のレゴのパーツを使ってアヒルをつくるワーク。
セミナー参加者は12人いたのだけれど、同じアヒルはひとつとしてなかった。
たった6個のパーツとはいえ、計算すると組み合わせ方は1億数千パターンになるらしい。
それだけの組み合わせ方があれば当然同じものがつくられる確立は低いワケだが、しかし目指している目標「アヒル」は共通である。
だから、もしかして同じアヒルがあるのではと思ったけど、やはりなかった。それぞれの個性、表現の違いだ。




午後のワーク。
まずレゴを使わないでグループで会議を行う。
ある設定のもとで最強の「経営チーム」のメンバーの要件を考える。

次にグループの各人は最強チームの一人の役になって、それぞれの立場でそのプロジェクトの10年後のイメージを、レゴを使ってつくり上げる。
そのビジョンをグループでシェアする。そして、各人のビジョンの要だけを残してリクリエイト。チーム4人のビジョンを融合させたビジョンをつくる。

そして、できあがったビジョンに名前をつける。
次にそれぞれのメンバーの特性を表現するイメージをレゴでつくる。
そして最後にそのメンバーに必要な要件を言語化して、レゴを使わないで会議をした時のものと比較する。

レゴを使うとワールドができる。ビジョンは立体的になり、ストーリーが生まれる。
それぞれの企画やメンバーがキャラクター化される。
つまり面白みが出る。

いや、最初から、レゴを使いだした時から楽しいのだ。
楽しんでやる仕事はクオリティが高いに決まってる。
仕事の先に目的があるのではなくて、仕事そのものがモチベーションなのだから。

手や指は脳と繋がっている。
脳だけで考えないで、手や指を使って考えるというのがレゴシリアスプレイ。

色や形や組み合わせ方の多様性。そしてその色や形や組み合わせ方に持つイメージは人それぞれである。
自分で見えている、感じている景色は、隣の人が見ている景色と同じであるとは限らない。
自分がまったく意図しなかったことや、気がつかなかった意味を質問によって気がつかされることが少なくない。
それもレゴシリアスプレイの特色。

興味がある人はぜひ参加されるといい。あっという間に時間が過ぎる。超オススメ!


Vol.160 クレイジーパワー

2011-09-18 13:51:26 | ビジネス


社会起業に関する本である。

ハイスタサミットの時に日本高校生学会の代表の伊谷氏が好きな本として取り上げていたので興味を持ち読んでみた。
読み終わるのに少し時間がかかってしまった。

社会起業だってもちろん一人きりではできない。
パートナーの存在が重要だという。

先日、大学でのグループ就活を見学させてもらったけれど、内定が取れた人を調べてみたら、グループ就活をしている人の内定する率が高いことがわかったと、担当している会社の方が言っていた。

僕も現在、起業を目指して頑張っているが、やはり一人で奮闘していると心が挫けるときがある。
もちろん、家族の支援はあるけれど、仕事上では頼りにできない。
「誰か助けて」とか「誰か決めてくれ」とか人に頼りたくなるときってあるんだよね、情けないことに。

やっぱ、そうかあ、パートナーだよね、大切なのは。
パートナーね、うん。
一人じゃ苦しいよね、不安だよね。
早く会社にしよっ。

Vol.159 校長先生と話す。

2011-09-07 14:25:26 | キャリア教育
子どもの通う小学校の校長先生にお時間をいただき、子どもの話ならぬ仕事の相談をさせていただいた。

「農業」と「食」と「子ども教育」をパッケージにした教育プログラムをビジネスにしたいと考えているので、ご意見をうかがったのである。

埼玉県では「みどりの学校ファーム」という施策を平成20年からスタートしている。
小学校によっては自分たちで栽培した大豆で味噌をつくりみそ汁にして食べる、そばを栽培して自分たちで打って食べる、などのプログラムを実施しているところもあり、まさしく僕が考えている構想と一緒である。

しかし、何分、費用のことが難しいらしい。「地域の支援をいただき」と県は言っている。ボランティアで田畑を貸し出したり技術支援したりするのは大歓迎されるが、ビジネスとしてお金をもらうとなると、これはまた超えなくてはならない走り高跳びのバーのような高さのハードルがいくつもあるらしい。
もう一度、視点を変えたり考え方を変えたりする必要があると思い知らされた。

ついでなので「レゴ部」の設立構想の相談もさせていただいた。

教育は「学校」「地域」「家庭」の3つでそれぞれの役割を持って行うべきであると校長先生はおっしゃった。
現代は「家庭」や「地域」が機能しなくなっているので「学校」への過度の期待がある。
特に「地域」にはもっと頑張ってもらいたい、盆踊りやおみこしなどのお祭りや子ども会が主催するスポーツ大会やゲーム大会がもっと盛んになって欲しい。
お祭りなど、この辺りで実施している町会はわずかに1カ所だけである。
例えば、地元の威勢のいいオッさんとかが地域の子どもたちに対してちょっと良くないことも含めて社会教育を施す。地域ならご愛嬌で済ませられることでも、学校がやれば、それは大問題になったりする。だから地域コミュニティの担うべき教育は大切なのだと思う、だそうだ。

地域のコミュニティ、町会、子ども会のイベントとして「レゴブロック大会」の開催からやったらどうか、とおっしゃられた。

なるほど。「地域」という視点が僕は抜け落ちていた。

子どもの「学校」での教育について関わりを持って発言ができるように(実際こうして校長先生と話せるようになった)小学校の「おやじの会」に入ったけれど、町会と子ども会には所属していない。

「まずはそっからか」と思った。

Vol.158 ライフ

2011-09-04 20:44:21 | 映画


子どもを連れて「ライフ」を観てきた。

大好きな親父が亡くなってもう5年が過ぎた。
僕の記憶の中に親父は確実に存在しているが、記憶だけではなくて僕の細胞の中に親父がいることをずっと感じている。

例えば子どもを見る目線は確実に親父が僕を見ていた目線だ。

親父が好きだったうどんやそばを僕も大好きで、最近は親父が好物だったセロリまで不思議に僕の好物になった。

イチゴや焼肉を食べるとき、美味しいところは僕や弟に全部分け与えて、
「俺は自分で食べるより子どもたちが食べる方がお腹が一杯になるんだよ。」と言っていたことが理解できるようになった。

ライフはそういう映画だと思う。

子どもに将来を託すと子どもにプレッシャーを与えるからとか、子どもは自分の分身ではない、とかよく言うけれど、それでも僕は断言する。
僕は僕の子どもたちを産むために産まれてきたんだ。

なんか映画を観てガツンときたし、ワインを飲んで酔っぱらっちゃったのかも知れない。



僕はこれからの人生を「教育」と「クリエイティブ」をテーマにしたいと思っている。

「学習」は「学ぶ習う」で自主的。
だけど「教育」は「教え育てる」である意味、上から目線だという人がいる。
なるほどと思う。でも子どもたちが進んで学んでくれて習ってくれるのを期待するだけではなくて、大人としては子どもを教えて育てる責任と義務があると僕は思う。
それは全然、上から目線じゃないよね。

「おしえる」の語源は「愛(を)しむ」。
だから「教育」とは愛して育むことなんだよね。

教育を一生のテーマにするなんてカッコいいじゃん。

ライフはそういう映画だと思う。

なんて適当なことを書きながらもう一杯。