はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.341 SHO DOG 靴にすべてを。

2018-12-16 10:30:59 | 


中学時代、
学生服とジャージで過ごしていた。


学校の体操着は決まっていたが、
夏場のタンクトップと
ランパン(ランニングパンツ)は
色がそれぞれ、白、紺であれば、
ブランドは自由だった。

運動靴は
色は青と指定されていたが、
やはりブランドは何でも良かった。

服で主張することができないので、
田舎の中学校の中で、
少しおしゃれな同級生たちは
運動靴で個性を主張した。

その頃のスポーツブランドといえば
タイガーがちょうど
オニヅカからアシックスへ変わった時期。
値段も手頃で、
アシックスを履いている生徒が多かった。

そしてアディダス。
プーマは安かったし、
何となくアディダスより地位が低かった。

靴で主張するには、
できるだけ
他の同級生と違うブランドであることが大事で、
NEW balanceは
マラソン用と一般トレーニング用と
2種類しかなかった。
BLOOKSも珍しかった。

そしてナイキ。
ナイキも登場したばかりで、
履いてる奴はお洒落で一目置かれた。

そんな地域、
そんな時代だった。


大人になって、

子どもの頃は生意気に
チープな気がして、
敬遠していたけど、
そんな固定観念を捨てて、
プーマがいいな、
と好んで履いた。


今、ランニングする時のシューズはナイキだ。
ブランドで選んだわけじゃないけど、
何となくナイキ。


SHOE DOGを読んだら
これからはあえて
ナイキにしようと思った。

フィル・ナイトの物語に、
感情移入して、
成功を期待して本を読み進める。

サクセスストーリーは面白い。



アディダスは大会社だったし、
プーマとアディダスの創業者は兄弟だった。
(知らなかった。)


そしてアシックス。
最悪!
会社が悪いわけじゃくて、
たまたまひどい奴がいただけなんだけど、
日本人として恥ずかしく思うし、
もう二度と買いたくないと思った。

子どものバッシュもナイキにさせよう。


やっぱり
ブランドはストーリーだな。







次回のブログ予告

コーヒーの木






vol.315 夢判断

2017-04-18 21:26:22 | 


昔から夢はよく見る方で、
夢に関心があって、
夢の本を見るとつい買ってしまう。

どんな夢をよく見るかといえば、こんな夢。

トイレの便器を探している夢(トイレはすぐに見つかるのだが便器が見つからない)、

気がつくと全裸なので人目を避けて服を探している夢、

乗り換えの電車がわからない夢。

外からの刺激が夢を見る源泉となっていることはあるだろう。
しかし、トイレを探している夢を見ながら、本当に便意を我慢しているかというとそうでもないことが多い。

実際にあった出来事が夢の原因になっていることもあるのだろうけど、
心の潜在的な部分で不安に思っていたり、心配していたりすることが夢に現れるような気がする。

フロイトは願望を満たすために夢を見るという。

スッキリしたいという願望。
注目されたい、同情されたいという願望。
もしくは裸を見せたい、あるいは見せたくない。
身体に対してのコンプレックス。
そして目的地にたどり着きたい、あるいはたどり着きたくない。


Vol.312 首折り男のための協奏曲

2017-01-02 09:28:57 | 



この本は、2016年最後に読んでいた本であり、2017年の最初に読んだ本でもあり、そして2017年最初に読み切った本である。
ということで、明けましておめでとうございます。

登場人物のキャラクター、場面など、いくつかの限られた条件があって、その条件に合うように物語を考えるという方法というのがあるな、というのが最初に思った感想。

実は読み切り短編をまとめた本なののだが、一番最初の短編で首折り男は殺されてしまう。
外傷はなくて死因は心臓麻痺かも、とあるので思い出したのが別の伊坂幸太郎の小説に登場する「スズメバチ」という殺し屋グループ。
もしかしてスズメバチのうちの一人は首を捻られて殺されたのだったか?
なんて思って、この小説を読み終わってから、別の出版社から出されている、スズメバチやら殺し屋たちがたくさん登場する小説に該当部分を探してみたけれどはっきりしなかった。

別の小説に脇役で登場した登場人物が主役の小説が書かれることで、
伊坂幸太郎の小説の中に世界が生まれる。
そしてそれは年を経るごとにどんどん広がっていく。
クトゥルフの神話は不特定多数の作家による世界だけど、同じように伊坂幸太郎の小説の中にも一つの世界があるな、というのが次に思ったこと

昨日、1月2日に見たばかりの初夢を絵日記に書いた。
自分が見る夢にはよく出てくる「場所」や「シーン」がある。
それは高速道路のパーキングだったり、駅ビルを挟んで複雑に入り組んだ関西方面のどこかの駅だったり。
池袋サンシャインシティに続く地下街。
10階建ての7階くらいに事務所があって、言うことをきかない気まぐれなエレベーターが設置されたオフィスビル。
山に囲まれた田舎の町内に不自然に存在する一流シェフの店が集まったグルメストリート。
入り組んだ作りの中にたくさんの隠し部屋を持ち、複数の世帯が同居する一軒家。
山の麓に立っていて、台所は土間で、風呂が家の外にある古い民家などなど。
現実にある街がデフォルメされている場合もあれば、全くの創作の場合もある。
そうした、夢によく登場する場所たちを思い出して紙に書き出して、その場所たちに因んだ物語を書いて綴っていったら面白い小説になるかな、というのが3番目に思ったこと。

伊坂幸太郎が書くような小説が書けたらいいのにな、と思って嫉妬しながら読んでる。

Vol.298 月映展

2015-09-30 22:06:43 | 


次のミーティングまで少し時間があいてしまって、どうして時間を過ごそうかと思っていた折、偶然目に入ったのが「月映展」の案内。
日曜日が十五夜で、「月」という文字に脳が過敏に反応したのかも知れない
「月映」と書いて「つくはえ」とふられたその読み方にも反応した。
「つくばえ」じゃなくて「つくはえ」という発音が儚くうつくしい。
「やばい」という言葉一つで多くの意味を表現する若い人たちの語彙の少なさを嘆く自分たちだって豊かな表現を失っていることを泉鏡花の小説を読んで気が付いた。
だから、日本語の表現や美しい言葉にも過敏になっているのだと思う。

「月映」とは田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の3人の美学生が出版した木版画と誌の作品集。
病につき死に怯える田中恭吉。
妹の死に傷ついた藤森静雄。
木版画に描かれた人たちは誰も俯いていて、生と死の儚さを連想させる。
そえられた手紙や作品名の日本語がうつくしい。

展示室の監視のスタッフが年配の方々で何もせず、黙って俯いている。
それすらも演出なのかと思ってしまう。