はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.267 ボードゲームで教育

2013-06-26 05:58:46 | お勉強



ボードゲームを子どもたちの学びに活かすというメソッドがある。
イスラエル初のマインドラボという教育プログラム。

以前から興味があったので、ちょっとだけ体験してきてみた。

僕はあまりゲームは得意ではなくて、好きでもない。
オセロと人生ゲームくらいしかやった記憶がない。
将棋も強くなくて、その割には負けたくないので一手一手じっくり考えて
勝負にすごい時間がかかる。
オセロ(今はリバースというのかな)もそう。
最初はそうでもなかったけど、だんだん時間がかかるようになってしまった。
時間がかかるから簡単に取りかかれない。
めんどくさい。
やらない。
という図式になってしまった。

テレビゲームも苦手で、
風船割りゲームは駄菓子屋で10円くらいでできたのでやったこともあったが、
インベーダーゲームはゲーセンで1回100円だったのでとてもじゃないけどやれない。
ブームが去って駄菓子屋で安くできるようになった時には上手な子との
差ができていたので、人前でやりたくはなかったし、
自分でやるより人がやるのを見る方が好きだった。

以来、ゲームはほとんど興味がない。

プレイステーションもWiiも家にはない。

そんな環境の家なので子どももゲームをやらないかというと
そんなことはない。
親の僕の目を盗んで、パソコンやiPhoneで無料のゲームを探してやっているようだ。

今回、やってみたゲームは「ラッシュアワー」と「アバロン」。
ラッシュアワーは駐車場に停めてある車を
ルールに沿って駐車場から外に出すパズルのようなゲーム。
一見不可能に見える問題が解決される瞬間の気持ちは例え難い。
ちょっと難しい数学の問題が解けた時の爽快感と近い。

アバロンは対戦するゲーム。
ルールは簡単なんだけど、
やっぱり勝ちたいので、将棋やオセロのようにやっぱり時間がかかる。
ここでは勝つことが目的なのではなくて、
ゲームの自分の戦術を振り返って、改善したり、
言葉で他の人に説明したりすることで学んでいく。

負けたくないという自分の気持ちに気づくことも学び、
勝負を最後まであきらめないということも学ばせてもらえる。

で、結局負けちゃったけど、
久しぶりにやったゲームは案外オモシロかった。

Vol.266 簿記検定の試験ができなくて、センター試験の廃止の話題について考えてみた

2013-06-10 22:49:25 | お勉強
簿記は学校とかに通わないでただひたすら過去問題集をやるという方法で勉強した。
昔から、僕はそういうやり方をしていて、それで簿記2級も合格したし、個人情報保護士もCDAの筆記試験もクリアした。もう20年も前の話ではあるが、過去問題集をやり続けただけで簿記の2級は1回のチャレンジで満点合格だった。

最初は答えを見ながらであっても、答えを暗記しちゃうくらいまで問題集をやり続けると、なんとなく傾向と対策が見えてくる。
1級は商業簿記、会計学、工業簿記、原価計算と4科目あってボリュームもあるので時間が掛かりなかなかそのレベルまで達しない。
何年経っても先が見えないので、今回思いきって申し込んじゃうことにした。

申し込んだら仕方なく勉強するだろうと思ったら、その通りで、確かにいつもよりは勉強をした。
試験前日の2日間は10時間ずつくらい勉強した。最後は直近3回の過去問に絞って繰り返し解いたので、それぞれ7割~8割は解けるようになった。ただし、時間がかかり過ぎるのと、ケアレスミスが多いことが課題だった。それでも過去3回と同様の問題が出題されれば何とかなるかなと甘く考えていた。
過去問10回分を勉強してきて、商業簿記は決算整理後残高試算表の問題が出る確立が高いと考えた。決算整理後残高試算表の問題ならば、パーフェクトは無理にしても7割はかたい。会計学は「のれん」の計算か有価証券だろう。社債の問題は苦手なので出なきゃいいな。工業簿記は原価差異。原価計算は「割引キャッシュフロー」の計算。とそれぞれ予想を立ててそこに特化して勉強した。
過去問をただひたすらやるやり方でしか勉強していないので、やったことがない問題が出てしまうとアウト。ちゃんと理解していればやさしい問題であったとしても僕には手も足もでないのである。そしてまんまとその通りの状況になってしまった。
商業簿記の問題が決算整理後残高試算表じゃないなんてね。工業簿記は原価差異の問題で原価計算はキャッシュフローの問題には違いなかったけど、いつもある原価係数の表がない。勝手が違うよ。

何のために簿記の試験はあるのか。

会計に関する理解度を測定するため。
傾向と対策で効率よく学習して点数を取れても実践で使えなければ仕方がない。きちんと理論と方法を理解していないと解けない問題というのは、実はそれは良問なのだろう。過去の対策だけじゃなくて未来の対策もしないといけないとしたら、学習方法から見直さなくてはならないのだから。


大学の入学試験って何のためにあるのだろう。

大学に入ってからろくに勉強しなくても、その大学に入ってさえしまえば将来何とかなる、という時代だったから、公平でさえあれば選抜方法なんて何でも良くて、入学定員まで絞ることこそが入試の役割だったのかも知れない。だとしたら一発勝負まぐれやアンラッキーもありのマークシートのセンター入試で良かったのだろう。大学で学ぶことよりも入試それ自体が目的になってしまって、高校時代は大学入試に向けての勉強をする時間になってしまった。そうした薄っぺらな試験勉強が本当の意味で勉強と呼べるのかどうかはわからないけれど、少なくとも努力をしたかどうかは測定できる。
高校や中学の時間を無駄な時間にしないように、学びの質をあげるために、大学入試が変わる必要がある、そういうことなのだろう。
だから到達度テストの傾向と対策みたいなものが表れて、効率の良い学び方を予備校や塾が教え出しちゃうと、それは思っているところと違うところにいっちゃう。

簿記だったら1級の先に税理士試験や会計士試験があって、そうした次のステージに進む基礎ができているかどうかを測る意味がある。
ただ単に試験に通りさえすれば良いのではなくて、学んできたことをこれから実践で使って行くプロフェッショナルになるのだから、まぐれで合格されては困る。

大学入試にもそういう意味がないわけじゃない。
大学で学んで行く上で学ぶために必要な基礎的能力があるのかどうかを測るということは意味がある。
理系の大学にはそういうところは多分にあるだろうし、上位の大学、リサーチユニバーシティに属する大学でも、ちゃんとしっかりと基礎学力のある学生を入学させなければ入学後に勉強についてこれないという状況がおこるだろう。

一部の大学は入試は成立するだろうけど、きっと多くの大学にとって入学試験は不要なものになる。入試が不要なら高校生は勉強しなくなるのだろうか。
そんなことはないだろう。お受験なんかなくたって小学生はちゃんと勉強する。しかも楽しく。
諸問題の解決策が到達度テストなのかどうかはわからないけど、コンセプトや意味がしっかりと多くの人に伝わるようにしつこく丁寧にきちんと説明してくれることを期待しよう。

Vol.265 幸福論

2013-06-01 23:32:45 | 




世界的にブームだったのだと思うが、僕も例にもれず、
ここ何年かは幸福ブームで、ずっと幸福について考えている。

映画「happy」を観て(大学でも上映会をした)、
ショーペンハウアーの「幸福について」を読んで、
「天才バカボンの幸福とは今日もおひさまが昇ること」を読んで、
そしてアランの「幸福論」を読んだ。

そしたら案の定だけど本が付箋だらけになった。

「幸福論」を読んで感じたこと。

すごく大雑把に言えば、幸福は自分次第ということ。

どんなひどいことがあっても幸福でいることはできるし、
どんなに人から幸せそうに見える人でも不幸な場合もある。

「幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。」

「自分の不機嫌に身をまかせる人は、たちまち不幸で意地悪くなる。」

そういえば、意地悪な人って不幸なんだと思う。

「必要なのは、信じ、期待し、微笑することだ。」

そして残念なことに不機嫌は伝染する。

同じようなことは関根勤も「バカポジティブ」に書いていた。

例えば朝起きて妻が不機嫌だと子どもも不機嫌になって、
自分も不機嫌な気持ちで家を出る。
そして職場で自分の不機嫌をまき散らす。
妻の不機嫌がいったい何人の人を不幸にするのだろう。

同じように上機嫌も伝染する。

妻が上機嫌だと、僕はすごく幸せで、
その幸せを職場中に笑顔でまき散らす。
そのおかげでどれだけの人を幸せにすることができるだろう。

アランは「上機嫌は贈ったり、もらったりすべきものだ」と言っている。

「上機嫌こそ世の人すべてを、
 そして何よりまず贈り主を豊かにする真の礼儀であり、
 交換によって増大する宝物である。」

まあ同じことを言葉を代えて言っているだけだけど、

「自分の不幸についてけっして他人に話してはいけない」

「自分について愚痴をこぼすことは他人を憂鬱をするだけ。」

愚痴を言い、悪口を言う時の顔は誰でもが醜い。
だから悪口ばかり言い続けている人は後天的にブサイクになる。

逆に上機嫌でいられる人は年齢を重ねる毎にどんどん美しくなる。

「幸福であることが他人に対しても義務であることは、
 じゅうぶんに言われていない。
 幸福である人以外には愛される人はいない。」

「幸福になろうと欲し、それに身を入れることが必要である。」

望めば必ず幸福になれるし、
なろうと思わなければ幸福にはなれないのだ。

そして今、僕はかなり幸せだ。