はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.264 もったいない主義

2013-05-19 05:30:52 | 



少し前になるが、
NHKで放映された小山薫堂氏と佐藤可士和氏の番組を見た。

珍しく妻と一緒にテレビを見たのだけど、
妻は佐藤可士和氏の徹底した整理が性に合うらしい。
うちのリビングの真っ白い本棚には扉がついている。
僕は自分の読んだ本を見せたい人だが、扉があった方が圧倒的にスッキリした感じになる。
もちろん妻のセレクトだ。

佐藤可士和氏の新丸ビルで無料の講演会を聴講したことがある。
本も2冊持っている。
「佐藤可士和の超整理術」と「佐藤可士和のクリエイティブシンキング」。

一方、小山薫堂氏には惜しいところで会えなかった。
以前僕が勤めていた会社のイベントで小山薫堂氏のBSの番組を絡めた企画があって、
僕が担当するはずだったのだけど、
企画が動き出した直後に僕が会社を辞めてしまったのだ。
企画はうまくいったらしく、番組は僕も拝見させていただいた。
それ以来、小山薫堂氏の名前には敏感に反応している。

薫堂氏の「もったいない」というテーマは、
ムダ遣いがもったいないということではなくて、
せっかくあるのに使わないことがもったいない、という発想が多い。
むしろムダなことを推奨している。
一見ムダに見えることも、クリエイティブな観点から見ると有意義なものなのだ。共感。

超整理派の佐藤可士和氏とムダ推奨派の小山薫堂氏。

「僕は薫堂派かな」
というと、
妻は
「私は可士和派」。

薫堂さんも可士和さんも実は僕とほぼ同年代。
すごい人はすごいなあと思う。



もったいない主義
-不景気だからアイデアが湧いてくる!(幻冬舎新書)

小山薫堂氏の会社「オレンジ・アンド・パートナーズ」
その受付はなんとパン屋になっている。
パン屋で働きながら受付を兼務している女性。
社員を管理するにあたって、
仕事の質を変えて同質の仕事をさせないという配慮がある。
同じ条件で仕事をさせるとライバルになってしまう。
その人にしかできない仕事をさせる。
「なんとなく異質な存在」がいることでほかのスタッフの刺激や癒しになるのだそうだ。

なるほど、参考になる。


イチローのお母さんのつくるカレーの話。
ブランディングの定義。
「こんなふうに感情移入をさせるのがブランディングである。」

なるほど、心を動かさなきゃね。


大学のキャリア支援について。
今の大学は学生の就職率を上げることを非常に重視している。
だからいわゆるキャリアサポートとか、就職のためのカウンセリングを手厚くして、
「この会社へ行くならこれを勉強しなさい」「勉強したらこの企業に入りなさい」と
進むべき道筋をつけてくれる。
大学での過ごし方もどんどんムダがなくなっていく傾向にあるようだ。

なるほど、遠回りや失敗だってその人のリソースだもんね。
よかれと思ってそれを取り除いたら、
つまらない人生になっちゃったってこともあるかも。


映画「おくりびと」の話。
号泣の涙ではなくて、雪解けのしずくのような、
自分の中で凝り固まっていた感情が溶け出してきたような涙

なるほど、最近そんな経験しました。



神様にフェイントをかける、ということ。

なるほど、そんな考え方もあるね。


自分が何か失敗したときにはチャンスだと思おう。
謝り方ひとつで見直されたり、深く理解されたりすることもある。

なるほど、じゃあ僕なんかチャンスだらけだ。


「閾値(いきち)」
刺激に対する慣れの度合い、という感じかな。
幸せの閾値を下げれば、幸せをいつも感じられるという話。
小さな幸せをたくさん積み重ねて
「プチハッピーのミルフィーユ」。

なるほど、大きな幸せばかり期待していたら
小さな幸せを見逃してしまう。
確かにそれはもったいない。



電車で見かけた本田直之氏の本を読んでいた人に名刺を渡した話。
薫堂氏から声を掛けられて、本田氏にもアプローチするチャンスであるし、
そこにいろいろ可能性があったのに、
その人からはとうとうメールが来なかった。
「その彼は、目の前に”どこでもドア”があったのに、開けなかったんですね。
なんてもったいないことをしたんだろう」

なるほど、「目の前の”どこでもドア”」
オモシロい表現だよね。

目の前にあるどこでもドアに自分はきちんと気がついているだろうか、
とキョロキョロしてしまった。


なるほど、
って読みながら何回言っただろう。

ちょっとだけ紹介してみた。
気になる人は本を読んでみてね。

Vol.263 ビジュアル・スカッシュ

2013-05-16 23:02:54 | お勉強



NLPにはパートという考え方がある。

何か行動を起こす時、あるいは行動を起こせない時、それは自分がしたことではなくて自分の中の一部がそうしたのだと考える。
その一部がすなわちパートである。

例えばお酒を飲むのをやめたいと思っているのにやめられないとする。
お酒を飲むのをやめようと言っているパートとお酒を飲んじゃえと言っているパートが存在する。
それは身体のどこかにいて、どこにいるのか、よくよく内面を探すと実は見つかる。
自分自身が頭でお酒を飲むのはよくないと思っているとすると、
それに味方するお酒を飲むのをやめようと言うパートは好意的で、
お酒飲んじゃえと言っているパートは逆に好ましくないと思っている。
だからその二つのパートは対立する。
身体のどこかにいるパートたちを身体の中から取り出して(もちろん、イメージの中で)、
質問したり、パート同士を対話させたり、統合したりすることで解決できる問題もある。

そんなワークを昨日やった。

服や書類などもう使わないものを捨てたいのに捨てられない。

捨てたいと思うパートは緑鮮やかなバッタの姿をしていた。
自分が緑色の模様の入った服を着ていたのと、
誰かがバッタの話をしたところからそんなイメージが湧いたのだと思う。

そして捨てられないと言っているパートはテニスボール大の大きなダンゴムシ。
丸くなって頑に自分の腹を守るダンゴムシ。
次男坊が描いた「おひさまとダンゴムシ」の絵が印象に残っていたのかも知れない。
バッタから虫つながりで連想したとも言える。

そして、バッタとダンゴムシに話し合いをさせて、
二つを統合して誕生したのがハリモグラ。

ハリネズミじゃないの?ハリモグラなんているの?
と言われたが、なぜかハリモグラ。

僕は、今では非常に透明感のあるヘアスタイルをしているが、実は昔から薄い人だった。
小学生の時にアオキくんと二人で近所の床屋に行ったら床屋のおやじに、
「ノンちゃんはアオキくんの半分くらいしか髪の毛がないね。」と言われたことがある。

スポーツをして汗をかくと、その少数精鋭の髪の毛たちが、団結してまとまって栗のイガみたいになる。
それで中学生の時にはバスケ部でハリモグラってバカにされた。
そんなこと思い出すなんて思ってもいなかった。

でもきっと僕のコンプレックスの根源は少年時代にあるんだよね。
だから、本人も忘れていたようなハリモグラが忽然と目の前に現れるのかも知れない。

でも不思議と愛おしく思ったよ。
もう、それは僕の中では受け入れられていることだからね。

そう言えば昨日の僕のテーマは「アクセプト」だった。

Vol.262 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013

2013-05-04 20:30:15 | 音楽



クラシックを気軽に楽しもう!というコンセプトでフランスで始まった音楽祭、「ラ・フォル・ジュルネ」。
のだめちゃんがテレビ放映されたクラシックの当たり年もあったし、日本でもすっかり定着した感じだ。

わが家もすっかりはまっている。

0歳から入れるコンサートがある、と聞いて、
はじめて行ったのが2010年だった。
その年は、生誕200年でショパンがテーマ。

帰りの電車の中で、当時1歳の次男坊に、
「楽しかったね」
と言ったら、
わかっているのかどうなのか、
「うん」
と答える。

「来年も来ようね」
と言ったら
「うんう」
と否定するので、
「何だろうねこいつ」
なんてその時はみんなで笑ったんだけど、
翌年、結構早くにチケットを取って準備していたのに、
東日本大震災があって、ほとんどの公演が中止になってしまった。

予感があったのかな?まさかね。

昨年2012年は「サクル・リュス」というタイトルで、
チィコフスキーやラフマニノフなどロシアの音楽家がテーマだった。

そして今年2013年はパリがテーマ。

僕たちが聴いたコンサートは
ピアニストがアンヌ・ケフェレック、
カスタネットがルセロ・テナ、
フェイサル・カルイが指揮をするラムルー管弦楽団の演奏。

有名なサティの「ジムノペディ」、
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、
サン・サーンスの「ピアノ協奏曲第2番ト単調」、
ヒメネスの「ルイス・アロンソの結婚式」
を聴いて、好い気持ちで夢心地だったのでした。

有料コンサートは1公演だけしか聴かなかったけど、展示ホールや屋外のステージでも無料のコンサートをずっと演っていて、気軽に音楽を楽しむことができて、そしてなんとなく高尚で、自慢できる日になった。

写真は今年のラ・フォル・ジュルネのオフィシャルCD。
毎年販売されているんだけど、値段は1,000円と手頃で、クラシックの入門としてもバッチリ。
アートディレクターを佐藤可士和氏がやっていて、イラストも個性的で好みだ。

明日朝、さっそく聴きながら勉強しよう。

Vol.261 デザインあ展

2013-05-03 16:51:35 | クリエイティブ


今日は次男を連れて東京ミッドタウンにある21_21DESIGN SIGHTで開催中の「デザインあ展」に行ってきた。

「デザインあ」はNHK Eテレで放映中の、佐藤卓氏がクリエイティブディレクターで小山田圭吾が音楽を担当するクリエイティブな子ども向け番組。
番組もクオリティが高いが、「デザインあ展」もさすがクオリティが高い。

以前、僕は美術大学の作品展示の仕事などを手伝っていたこともあるので、この美術展は非常に興味深いものだった。

芸術性が高くても子ども向けなのだから壊れやすくてはダメだ。
でも今回の展示は、触って遊べて、なおかつ芸術性が高くてプレイフルな作品が多くて良かった。

次男も大興奮で、帰ってきてからも「デザインあ」の絵を描いているし、「あれが良かった」「これも良かった」と感想を言い続けている。

本のタイトルが上下で分かれていて、組み合わせて変な本のタイトルができあがる本棚のコーナーは特に面白かった。
単純な発想ではあるけれど、すごくクオリティが高いアイデアだと思った。






Vol.260 フランシス・ベーコン展

2013-05-01 21:39:15 | 芸術




たしか、初期の京極夏彦の小説に人の顔を認識できない女性が登場したと思う。

顔を覚えないと、相手が誰だか認識できないものだろうか?

声や感触や雰囲気だけでも誰なのかはわかるだろう。
だけど、最後はやはり顔で判断していることが多いと思う。
頼りの「顔」が悪夢のようにぐちゃぐちゃだったなら、
やはり不安だ。

動物の怪談で、狸や狼の化け物が人を食い殺して
その人に成りすましていると、
身内の人間、例えば夫や子どもが
「たしかに妻なのだが、明らかに妻とは違う」
というように感じて正体を見破るという話が多くある。

ベーコンの絵はそんな絵のような気がする。

静止したものではなくてスピードや時間の経過を描いているので、
犬が犬ではないし、人の顔は認識できない。

そして檻に囲まれている。

顔に穴がある絵がある。
穴は黒いことが多いが、白いものもある。

その穴から空間が歪み、身体や顔が奇妙に捩じれる。
吸い込まれようとしているようにも見える。

天才なのか、病んでいるのか。
いずれにしてもあまり気持ちの良い絵ではない。


MacのPhoto Boothの渦巻きというエフェクトで写真を撮ってみた。
忌々しい感じだ。


ベーコンは17歳の時に、道端にある犬の糞を見て、
人生はこのようなものだと悟ったんだそうだ。