はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.43 アルケミスト

2010-02-24 12:13:09 | 文学
 「アルケミスト 夢を旅した少年」(パウロ・コエーリョ著)を読んだ。

 内容はいわゆる英雄の旅。
 エジプトのピラミッドに行けば宝物を見つけられるという夢を見た少年が、セイラムの王様や錬金術師と出会い、自分の心と言葉を交わし、動物や砂漠や風や太陽の言葉を理解し、終に宝を手に入れるというお話。さらりと読んでしまえばありがちな話である。

 「夢をあきらめるな」とか、「何かを望むならそれは叶う」とか、そういうメッセージがこめられていないことはないけれど、そんなお説教くさい感想を書きたいわけではない。

 問題は僕がなぜこの本を読んだのかということだ。

 一言で言えば知り合いから紹介されて読んだだけなのだが、この物語にたどり着くのに、ビジネスの話、組織改革の話、カーネギー、マインドマップ、フーチー、ダウジング、ペンデュラムの話が先にあった。

 いろんなことを人づてや、ビジネス書や、研修・セミナーの中で学んできたが、いつかそれがあちらこちらで繋がってくることがわかった。そしてそれらは僕の中で意味を持つようになった。

 セレンディピティとかプランドハプンスタンスセオリーと云う言葉がある。

 なぜ僕は「アルケミスト」を読んだのか。
 きっとそこに意味があるはずだ。
 
 「マクトゥーブ」。書かれているから。
 
 

Vol.42 不思議の国のアリス

2010-02-21 06:24:02 | 文学
 4月にティム・バートン&ジョニー・デップの「アリス・イン・ワンダーランド」が公開される。予習のためにルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」を読んだ。

 おなじみの白兎、帽子屋、チェシャ猫など個性豊かな人や動物が登場し活躍する。
 
 中学生の時の英語の教科書に登場したハンプティ・ダンプティは続編である鏡の国の住人だった。

 彼らはアリスの前に登場してへんてこな詩を暗唱し、言葉遊びでだじゃれを言って、揚げ足をとって理屈をこねる。
 
 そのからみ方、くだらなさは、かのバカ田大学の人々とそっくりである。
 
 バカボンパパはアリスのようにキュートではないが、アリスも決してクレバーではない。純粋で無垢な女の子である。パパだって41歳ではあるが純粋で無垢なのだ。誰かに騙されて、よく点のように小さい目から涙を流した。時々は確信犯のようにすべてを理解した上で無知な振りをするずる賢さもあったけど、初期のパパは純情だった。
 
 だとすれば「天才バカボン」はまぎれもないファンタジー。

 まさしく天才、赤塚不二男。

 ティム・バートンによるアリスのキャラクターたちと出会えるのが楽しみだ。

 そしてアリスの次はぜひティム・バートンの「天才バカボン」を見たい。パパはもちろんジョニー・ディップ。


Vol.41 電車で閉められたこと

2010-02-15 17:06:23 | ライフ
 電車に乗っていて、ふと大阪に住んでいた頃のことを思い出した。

 会社の同僚の家に遊びに行って帰る途中。夜もふけて本数も少なくなっていたので、できれば目当ての電車に乗りたかったのだが、長男がまだベビーカーに乗っていた頃で思うように走れないし、階段の昇り降りにも時間が掛かりギリギリという感じだった。ホームに着くとすでに電車は来ていたがどうやら間に合った。
 僕と妻とベビーカーを押して乗り込もうと思ったら、座っていた男性が、どうやら降りる駅に寝ていて気がつかなかったらしく、慌てて僕らのいるドアから出ようとした。降りる人優先、と礼儀正しくその人が降りるのを待って、さあ乗ろうとしたところでプシュ~、ドアを閉められてしまった。
 ひどい話である。駅長に文句を言おうか、抗議の電話をしようかとその時は本気で思ったものだ。
 
 今思い出しても腹が立つけれど、電車の運転手(車掌かな?)の立場で考えてみるならば、乗客は僕ら家族だけではない。僕たちのその時のシチュエーションなどもちろん理解しているわけではないし、乗ろうとしたことに気がつかなかったのかも知れない。ギリギリだったのは僕らの都合でもある。電車に乗るすべての乗客のことを考えるのであれば、電車を閉めるという判断もまったく間違っているとは言えないのかも知れない。それでもやはり優しくないなあとは思うけれども。

 とすれば、ただただ「ついてなかった」と諦めるしかないだろう。

 で、「ついてなかった」のがこの程度の「ついてなかった」だということを「ついてる!ラッキー」と思うのも脳天気でいいんじゃないだろうか。

Vol.40 美容室

2010-02-15 05:49:54 | ライフ
 床屋はなんで床屋というんだろう?
 昨日は美容室に行った。美容室と言うのと美容院と言うのとどちらが一般的だろう。美容院だと病院みたいなので、僕は美容室と言うことが多いが、どちらにしても男っぽい言い方ではない。
 
 それがいいと思っているのかどうだか知らないけれど、髪を切る時に、積極的に話しかけてきて、つまらない世間話をしたがる美容師が多い。そりゃあ中には会話を楽しみにして美容室へ行く人もいるだろうけれど、全員が全員ではない。
 僕などは、極力話などしないで、気持ちよく時間を過ごしたいと思っている。だから髪型をどうしてほしいか伝えるにも言葉数は少ない。少ない言葉で言いたいことを察してくれて仕上げてくれる美容師が理想である。

 僕が行っている美容室は僕が話をしないものだから、美容師もほとんどしゃべらない。黙ってもくもくと切ってくれる。しゃべらないからといってすぐ切り終わっちゃうかというとそうではなく、僕のこんな少々の髪の毛にさえもたっぷり1時間かけてくれる。僕はできあがりの髪型も大事であるが、リラックスした気持ちの良い切ってもらっている時のその時間に対しても料金を支払っていると思っているので、いくら安くても10分程度で切られるのは物足りないし、10分で切れるのならば安いのは当たり前だと思う。そういう意味でもここの美容室は合格だ。

 僕と僕の髪を切ってくれている男の美容師さんの他に、もう一人女性の美容師さんと女性のお客さんがいたが、誰も会話をしていない。ただ髪を切るハサミの音がするだけ。
 このお客さんも髪を切る時にあまり話をしたくない人なのだろう。そういう人って結構いると思う。美容室では無口を売りにする差別化、店舗戦略もあるなあと、気持ちよく髪を切られながらぼんやりと過ごした日曜の午後だった。
 

Vol.39 斜陽

2010-02-12 18:33:33 | 文学
 さて、30年振りに「斜陽」を読んだ。
 この間「人間失格」を読んだ勢い。
 30年前、僕は中学生。しかもこの小説で読書感想文を書いている。中学生の僕何を感じて、どんな読書感想文を書いたのか。
 白状すると、夏目漱石よりも芥川龍之介よりも、太宰治を読む、ということがなんとなくかっこいい気がしてたんだ。

 太宰治が斜陽を書いた年齢よりも上の年齢になった僕が読んで、中学生のときにはわからなかっただろうこともいろいろ感じたし、当時よりよほどディテールも理解していると思う。

 弟、直治の手記。僕が大学生の時に書いていた日記にも似ているし、忌野清志郎の「10年ゴム消し」の日記のようでもある。若くて蒼くて、切ない。

 姉、カズ子の書いた3通の手紙。怪談みたいなものだな。ストーカーものの怪談。会社のアドレスに山のように送られてくる迷惑メールの内容みたいでもある。

 そして、彼女が読んでいたのはローザルクセンブルク。どんともやはり太宰は読んだのだろうか。