20数年前、とある会社の道玄坂の事務所で働いていた頃、よく昼食時間を調整してBunkamuraで開催している美術展に行った。
エゴン・シーレ展にも行った。
少女誘拐で捕まったとか、クリムトのモデルと恋愛していたとか、そういえばそんな話も書かれていた。
20数年前の僕は芸術家やミュージシャンの自由奔放さ、ムチャクチャな生活に憧れていた。
しかし、地方出身で根が庶民の僕は、純粋さも野望も情熱も中途半端で、
自由になるためにルールとかモラルとか友情とか、思いやりとか、家族とかを捨てる勇気はとうていなかった。
それはフレームや壁や背骨のようなものだから、取り去ってしまったら自由になる代わりにふにゃふにゃになってしまう。
自由とは繊細でか細くて壊れやすいのだ。
エゴン・シーレは28歳で亡くなったのか。
エゴン・シーレ展に行った頃、僕もそれくらいの歳だった。
庶民で良かった。