はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.238 クエストカップ2013全国大会

2013-02-24 08:13:39 | キャリア教育



昨日はクエストカップの決勝大会を見に行った。

昨年はustで家で見たけれど、会場で見ると熱気と迫力、そして感動が違う。

企業プレゼンテーション部門のグランプリは常翔学園高等学校 じぇAむず の「Com 4 Table」
昨年のグランプリは中学生だった。今年も決勝に中学生が2チーム残っていた。
関西の子は小芝居が上手で感心する。
まるでコントを見てるかのようだった。
素人の中学生がここまで上手なのだから、お笑いのレベルも高まるはずだ。
そんな、強者たちで競われた大会を制した常翔学園。
このチームも芝居スタイルで演出が見事。
プレゼンテーションはどのチームも考え抜いてきていて、そしてしっかり練習されている。
プレゼンも大事だけど、もちろん肝心なのは企画内容。
そこが勝敗を分けたかなという感じ。わずかな差だとは思うけど。
結果はともかく、ここまで皆で頑張ったプロセスが素晴らしい。

これこそが本当の学び。
学びは楽しいもの、そして学びは感動。

人物ドキュメンタリー部門のグランプリは伊奈学園中学校。
水木しげる好きの僕に、水木しげるをテーマとしたプレゼンがグランプリなのはうれしい限り。

自分史部門のグランプリは皆野高等学校、宮城珠理亜さん。
内容も良かったけど、声がすごく良かった。

Vol.237 エル・グレコ展

2013-02-23 07:22:58 | 芸術


実体のともなわない、象徴的で、イラストチックな肖像画がある一方、性格まで具体的に表現されたリアルな肖像画というものがある。

肖像画といえば本人をモデルにして描かれるのだろうけれど、パウロやペテロといった聖人の肖像ではそうはいかない。
パウロは大きな剣を持ち、ペテロは鍵を手に持ち、ヨハネのグラスには龍がいる。身につけた衣の色にも意味がある。
3人の聖人の肖像が並んで飾られていた。ヨハネは何ともイケメンに描かれてる。

その隣にはその3枚の絵画とは趣の違うパウロの肖像画がある。
お決まりの大剣も小道具として用意されているが、連作の肖像とまるで違うのは、人物がリアルであること。
リアルパウロ。
もちろん本人ではないが、誰かモデルをおいて描いたんだろうなあと想像ができるのである。

ずっと見ていくと、同じようにリアルヤコブがあったりもする。

主役はやはり祭壇画。
紺と赤見の強い紫が印象的な絵が多いエル・グレコ。
全体的に影が濃いなあと思う。言い換えれば強く光りがあてられているということかも知れない。
深い暗闇の中に浮かびあがる人物という感じを持つ。
実際、暗闇に蝋燭の火で浮かびあがる少年を描いた作品もあるし、そうした描き方を意識していたのかも知れない。

「聖母戴冠」や「無原罪のお宿り」という作品にはたくさんの天使が描かれている。
空間からうじゃうじゃと湧き出るように、足下の衣にもさもさと纏わりつくように、たくさんの天使の頭や身体が描かれている。
それは、インパクトのある演出であり映画を見るかのようでもある。
目を閉じればこのシーンを映像化した映画の1シーンをイメージすることは難しくはない。



Vol.236 ニーチェの馬

2013-02-12 06:02:14 | 映画



理解のある人たちに囲まれて、クリエイティブな仕事を期待されて、
新車じゃないけど車を買い替えたり、
最近急に大きくなった気がする長男は「行きたくない」と言いながら
妻に連れられてミニバスの練習に行って、
幼稚園年少の次男は朝食を食べ終わって着替えるのを僕が手伝う。

「あれ、割と幸せだな」と思う。

映画は重く、暗かった。

終始風の音が聞こえ、それも嵐のような風、
朝が来て、井戸に水を汲みにいき、芋を煮て無言で食う、それの繰り返し。

登場人物たちはほとんどしゃべらない。
貧しさにいらだち、父と娘は154分の間一度も笑わない。

馬は自分の境遇を拒否し、前に進むことを拒み、食べることをも拒む。
人よりも先に馬の方が、生を諦める。

いつもの繰り返しの人生。

やがて来ることがあたりまえだと思っていた朝が来ない。
娘は芋を食うことを放棄する。

字幕だけが映し出されるエンディングの真っ暗なスクリーンには何の映像もないが、観客それぞれの脳に映し出された映像がそこに投影されるという寸法なのかも知れない。

大学の時、深夜にテレビで放映されたアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」を録画した。何度も観ようと思って挑戦したが、途中でどうしても寝てしまい、結局どんな映画なのか理解できなかった。

70人程で満杯になる渋谷の小さな映画館は休日で満席。
美しくて退屈な映画を、凄まじい風の音に心を揺さぶられながら鑑賞している人たち。
映像なのか、思い出なのか、自分の想像なのか、あるいは夢なのか、境界を曖昧なままに2時間半スクリーンを見つめ続け、映画が終了して明るくなった時は、正常な時間を取り戻したようでほっとした。

さて、幸せな人生に戻るとしよう。