前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

或るポストカード、そして今

2018年09月23日 23時47分20秒 | 整理整頓

以下はわたしが今から三十年近く前にもらったポストカードに書かれている言葉です

K・Iさん。今日はよくいらしてくださいました。
そしてお疲れ様でした。
人生は苦あれば楽ありとも言われます。
あっという間に過ぎてしまう青春時代。
Kさん、あれもこれもして何でもかんでもやって過激に生きてください。
Iさんの素晴らしい青春時代が爽やかで伸び伸びとしたものでありますように
心からお祈りしております。
                199×年 9月23日 M・M


日付からわかるように、二十数年前の今日、直接手渡されたポストカードです。
名前は書かれていますが、わたしはこの男性が一体誰で何をしていたのかは
正確なところは知りませんし、もはや顔を思い出すことができません。

恐らくですが、ある宗教団体に傾倒しているひとだと察することができました。

その頃のわたしは今の自分ではない自分、野望とまでは言いませんが、
夢みたいなものはたくさんあって、そんな自分になれる気でいました。
反面どうにも埋められないものに悩み、いつも自分に満足できず
苦しんでいました。まぁ、あまり今と変わらない部分もあります。(笑)

話せば長くなるので、どういう経緯でその人にあったのかは端折りますが、
まぁ、口車に乗ったとでもいいましょうか、
ある宗教団体(で、あろうと思っている)の自己啓発セミナーのようなものに
参加することになります。

スライドなど見せられて、何とも居心地悪く違和感満載でしたし、
どういえばいいのでしょう、そこにいる誰もが幸せそうには見えませんでした。
それなのに、彼らは満たされているような顔をして、
段々そこにいることが気持ち悪くなってきました。

その集まりの中では少し偉いらしい男性ともう一人女性がわたしを担当。
率直ではないにしても、彼らの世界への勧誘めいた気配が漂い始めました。
が、当時のわたしの死生観をわたしはそこで語りました。
それは今持っている死生観とは少し異なりますが、
これが彼らの勧誘に屈しないものと判断されたのか、
純粋に考え方が違い、迎え入れるに値しない人間と判断されたのか、
それまで熱心に話していた男性と女性が顔を見合わせた時、
波が引く音を感じたような気がしたのを思い出します。

何でしょう、放り出されるようにもう帰っていいですよ…ってな感じです。

わたしはとぼとぼとカードの男性に連れてこられた道を戻っていました。

後ろからわたしを呼び止める声がしました。例の男性です。

実はそこまで待ち合わせの際には電車を使ったのですが、
わたしはその辺りの土地をよく知っていました。
歩いて自分の家に帰れることも。

それなのに彼は道順を追いかけてきて教えてくれました。
その時手渡されたのが上記のカードです。

わたしはもはや一刻も早くこのひとと無縁になりたいと思って
碌々お礼も言わず急ぎ足で去りました。

静かな秋の住宅街、カードを読んで不覚にも涙が出てきました。
向こうから若い男性が歩いて来たけれど構いません。
エンエン泣いた。

何故泣いたのかわかりません。
秋だったから?
いえ、
何か自分の心が救われるのではないかと、のこのこと出かけ、
初めからどこかで疑っていたくせに救われなかったことが悲しかったからか。
いえ、
自分が信じていないことを信じる良き人が、騙されている気がして。
泣いてしまったのです。

けれども人目もはばからず泣いてスッキリしたんです。
夏休みも終わりだな・・・大学に戻らなきゃと。

自分が勧誘してきた人みんなに、
このカードは渡されるものだったのかもしれません。
あの時、狭いアパート暮らしだったのでポイポイ何でも
捨てていましたが、残ったカード。
手紙類も随分処分し、父からの手紙もボーイフレンドからの手紙も
すぐに捨てていたのにこれは残してあった。木箱から出てきた。

この人の名前も初めて今回意識しましたけど、
Mさんどうしているでしょう?

本当に青春時代はあっという間に過ぎてしまいました。
生憎と伸び伸びしたものではなく。
爽やかさも失ったかもしれません。
むしろ、わたしこれから伸び伸びしようと思っているんですよ。
何を信じるも自由ですがですが、あなたが騙されたり、
金銭面で窮していませんように。

あーあ書いているうちに日付が変わりましたが、
此の年の九月二十三日に誓います。
伸びやかに生きようと。
ひとつこれでこころの整理がつきました。