無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

土門拳写真記念館

2016-04-24 19:42:26 | 音楽・芸術・文学

日本とイタリアの国交樹立150年目を記念して、ローマ市のアラ・パチス博物館で土門拳写真展が開催されている。「Domon Ken ll Maestoro del Realismo Giapponese」(土門拳 日本リアリズムの巨匠」と題された展示会は、海外では初の本格的な土門拳展になる。ローマの展示作品に併せ、構成された写真展が4/13から7/10まで開催されている。

5/3には、堤 勝雄氏。6/11には、藤森 武氏のギャラリートークが開催される。この藤森氏は土門拳の弟子だった筈。寒河江の慈恩寺の仏像の写真集を買ったが、彼の作品だったと記憶している。残念ながら土門拳のようなツッコミが、もう一つ足りないと思うのは、私個人の意見である。

土門拳写真記念館に行くのならと、高見台のト一屋へ寄り、食パンを買ってきた。いつもはパンの耳を準備するのだが、午後になっての移動だったので、食パンにした。中の口のcoop のパンの耳は午前中で売り切れるのである。

ところが、ここに見える家族連れの殆どが、私と同じ考えだった。普段なら折り重なるようにやって来る鯉たちは、桜の花びらよりも多いパンに、半ば迷惑そうに一つ二つ飲み込むのである。その体長ときたら、1m越えがザラだったのに驚いた。可愛げなどと言うものは、もはや無い。ただ、良く見るとパンの柔らかな部分に食いつく沢山の稚魚がいたのに、ちょっと和む。

遠巻きにパンを啄むのはカモである。白鳥は1羽しかいなかった。

 

八重桜の向こうに、鳥海山が見えた。

大きなドアを開けて、写真館に入る。館内は撮影禁止である。

結論から先に言うと、今回の写真展はGoodである。リアリズムの巨匠と言うだけあって、戦後の街中や子供達を撮した作品は、ロバート・キャパも真っ青な作品ばかりだった。私は、こんな写真はごっつい好きである。土門拳の作品集を数冊持っているが、その中に納められていない作品が数多く並んでいるのに、鳥肌を立てながら見入る私は病気だと言える。

例えば、筑豊の子供達。あの姉妹の写真も、ネガをそのまま現像した(ほらね、私がいかに素人か判る)小さなままの一連がガラスケースの中に陳列してある。これが、目が悪いんで見えない。今度眼鏡をもっていかねば。)沢山撮した中の1枚を、作品として世に出すのだから、勿体ないこと極まりない。

それから、彼の「ヒロシマ」も、海外で展示されるのは喜ばしいと思う。「ヒロシマ」で亡くなった人達と、生きようと戦った人達の様子も、海外の人達に伝われば良いなと切実に思う。

 

始めて土門拳写真記念館を訪れる人の為に、数枚の仏像の作品は展示してある。いつもどっさり古寺巡礼が並んでいる展示室も、今回はリアリズム作品に占領されていて、私は口元がニヤリとするのを押さえられなかった。いやいや古寺巡礼も勿論良いのだが・・・と今回は別の楽しみ方をした。仏像の手相が各々違う。それは手相占いのお笑い芸人島田秀平が、仏像でも彫刻や絵画でも手相占いが出来ると面白い事を話していた。私はふんふんと見て回ると、これはないだろうと思える仏像の手があった。それと、千手観音の手を横から写したのが恐かった。全部違う手相だったら、占いは出来ないんじゃないかなどなど・・。

中央の彫刻は、イサムノグチの土門さん。

建築物は、時が経てば劣化していくのが常だが、劣化どころか時間と共に生きていると言うか、新たな発見をするのが、この土門拳記念館だ。建築家の谷口吉生氏の設計で、見事と言うしかない。

勅使河原さんの庭。これは絶対に館内から見るに限る。迫力がまるで違う。

渡り廊下を抜けて庭に出る。

この庭のお薦めは、紫陽花の頃だろう。それでも四季折々に美しい佇まいを見せてくれる。

勿論、渡る。

一番先頭にいるのが親で、その後ろは子供だろうと思う。渡り終えるまで待つ。まだ茂みから出てこれない1羽がいた。

市内のソメイヨシノは散ったが、この庭の花見はこれからも良いなと思う。夕暮れの陽が当たっている。

池を挟んで、写真記念館を見る。

 

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