平泉は京都と地形が似ているので、藤原氏はここに都を築いた。金鶏山を後景に、雄大な北上川を前面にして、中尊寺や毛越寺、無量光院を建立した。無量光院は宇治の平等院鳳凰堂を模して、少しづつ寸法を大きめに広げ作られたと言う。しかし現在は残っていない。特別史蹟として、跡地が残っているだけで、池も田んぼに変わっている。平安時代なので、極彩色の寝殿造りになっていたようだ。現在の郷土館の館長さんに案内を受け史蹟巡りを行った後、毛越寺に入る。
毛越寺は現在本殿になっている所にもお参りせず、特別史蹟になっている池の対岸に残っている礎石(建物の基礎石)を見に行く。この庭園の池自体が非常に美しい。
礎石しか残っていないが、本殿の左右には鐘楼と太鼓を突く為の建物が配置され、池の中には島もあり、実にゆったりとした時間の流れを味わう事が出来た。
池を3分の2程回った所にお堂があり、丁度お茶会を催していた。I さんの話だと裏千家らしい。一服所望する時間もなく、お点前をする女性の方々の和装を見ていた。そのお堂の手前には、小川が流れていて、時々ニュースで平安時代のいでたちをした男女が、歌を詠み短冊を川に浮かべた小さな船に乗せて流す場所だった。作り物の公園と違い、この水は湧き水なのか、綺麗な水が高台から流れ、池に注いでいた。
毛越寺は現在本殿になっている所にもお参りせず、特別史蹟になっている池の対岸に残っている礎石(建物の基礎石)を見に行く。この庭園の池自体が非常に美しい。
礎石しか残っていないが、本殿の左右には鐘楼と太鼓を突く為の建物が配置され、池の中には島もあり、実にゆったりとした時間の流れを味わう事が出来た。
池を3分の2程回った所にお堂があり、丁度お茶会を催していた。I さんの話だと裏千家らしい。一服所望する時間もなく、お点前をする女性の方々の和装を見ていた。そのお堂の手前には、小川が流れていて、時々ニュースで平安時代のいでたちをした男女が、歌を詠み短冊を川に浮かべた小さな船に乗せて流す場所だった。作り物の公園と違い、この水は湧き水なのか、綺麗な水が高台から流れ、池に注いでいた。
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