無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

平泉・中尊寺

2007-10-02 10:34:27 | 建築・都市・港
女性建築士の東北ブロック大会に参加する為に、岩手県平泉町へ出かけた。東北の小都市から小都市へ移動するには、電車は非常に不便なので、Iさんの運転する車に載せて貰う事にした。朝8時前に出発である。

奥州平泉と言えば、平安時代に藤原四代によって栄えた都だが、源義経を匿った事により頼朝に滅ばされた経緯を持つ。実は酒田市と平泉は浅からぬ因縁で結ばれているのだ。酒田は、城輪柵跡(きのわさくあと)と言う平安の遺跡が残っているように、出羽の国の国府として栄えたようだ。最上川の河口に位置し、港は最初は小さな漁村だったと聞く。頼朝に滅ばされた藤原氏の唯一の生き残り徳尼公(藤原秀衡の妹、または後室と言われている)を守り、36人の家臣が落ち延びた里が、酒田である。彼らはその後、廻船問屋などを商いとして活躍し、酒田を築いた36人衆として言い伝えられている。

酒田36人衆の詳細



平泉に着いた当日は、研究発表やら講演会が催されたが、翌日は朝から街並み、中尊寺や毛越寺を見学した。集合時間前に、ホテルの近くの千手院に行き、義経妻子の小さな2つの墓を訪れる。杉木立に囲まれた静かな石塔は苔むしており、ちょっと薄暗かったので写真には撮らなかった。(本当は妙な物が写るのが怖かったからだ。)上の写真は中尊寺の月見坂を登った所から見た北上川である。北上川は現在河川工事を行っており、遺跡に配慮して流れを変えているのだそうだ。





この石塔は重要文化財の願也就院宝塔で、四方に梵字が刻まれている。



鐘楼も古い。鐘は戦争中にも供出されなかったようだ。



近世能舞台としては、東日本唯一と言われる、白山神社の能楽堂である。平泉は世界遺産にノミネートしている。講演会で講師をされた平泉郷土館元館長の荒木伸介氏に説明していただいたのだが、彼本人は反対の意見の様だ。我々にその是非を問うた。メインとなる中尊寺は、頼朝に攻められて一度焼失している。他の世界遺産と比較してインパクトもないと言うのだ。金色堂は建築物ではなく、工芸品だと考えている様だ。私にはそうは思えなかった。判官贔屓ではないけれど、日本の文化遺産として誇らしいと思う。


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