無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

オーラの泉

2006-12-01 18:18:29 | 社会
久しぶりにオーラの泉を見て、美輪さんと江原さんの話に一々納得した。
最近の子供達の虐めと自殺の事に触れたのだが、今までオーラの泉では、ゲストの前世や生まれ変わりについての話が多かった。「何だ、人生なんて、何度でも生まれ変われるんだ。」とばかりに、今までの自分の人生にリセットをかけて、生まれ変わって楽に生きられると、子供達は安易に自殺していく。その事について触れたのだった。

自殺をした者は、何度でも同じ事を繰り返す。人生を全うしてこそ、来世があるのだ。虐めは子供の世界だけでなく、大人の世界の鑑であり、乗り越えていかなければならない。虐めをする者に対しては、恥を知ると言う事が必要なのだ。誰にも判らないように悪い事をしたと思っても、誰かが見ている。昔の日本には「お天道様が見ている。」「恥を知れ。」と言う言葉があったが、その通りで、江原さんのように霊が見えると、1人で悪さをしていると思っている人の廻りに、何人もの霊がいて見ていると言うのだ。

霊なんて、キワ物と思っている人が多いかも知れない。ならば、もう1人の自分がいて、戒めをかけて、行動を制御しようとしたらどうだろう。また最近の世の中は、相手の事を思いやると言う想像力の乏しくなった世界こそが、虐めや犯罪を増加させているのだそうだ。そうかも知れない。
コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 建築の未来(えらいこっちゃ) | トップ | 鬼の攪乱 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
北九州市では (cake)
2006-12-02 12:34:04
北九州市のマンションで見つかった3遺体は、どうやら蘇生信仰の為に放置されたものらしい。
北九州市では、過去に同じような事件が起きていた。

信仰と蘇生が絡むのは、古くはエジプトのミイラから、キリストが蘇生させた事も聖書には載っている。
しかし、いくら信仰が自由だと言っても、科学的に不可能なものは、信じてどうなるものなのだろう。人間の判断を無くすのが信仰だとしたら、ちょっとどうなんだろうね。
返信する
私も見ましたが・・ (金木犀)
2006-12-08 22:16:46
残念ながら、終わりのほうだけしか見られなかった・・・
でも、美輪さんが、『恥』というものを忘れたから、こんな風になったとおっしゃったのは、その通りだなあと思いました。
「恥を知れ!」って、今の政治家や復党議員にも言ってやりたいですね。
返信する
それは残念でした。 (cake)
2006-12-09 10:13:24
金木犀さん

あの回のオーラの泉は、いつもとかなり違っていました。
前半は、ゲストをそっちのけで、2人で生まれ変わりや自殺の話に終始しました。
自分達の番組が、生まれ変われる事を安易に考える風潮に寄与したのでは・・・を、否定する構成だったと思います。

私は前世の記憶など全くないし、今の私が後にも先にもたった1人の自分ですから、精一杯生きようと思います。
良かれと思った事を、行える自由がある人生は、素晴らしいものですよね。
返信する

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事