先日友人のA子さんから手紙が来ました。
その中にK男さんが太宰治について書いた「私と太宰」
と云うタイトルで、エッセイの写しが入っていました。
(青森県の東奥日報新聞のコラム3回シリーズ掲載)
A子─同級生で同郷人K男 青森県蟹田出身(現外ケ浜)
劇作家、演出家(東京在住)
│
父親N(故)当時、蟹田市で精米業を営む─友人太宰治
-蟹田は蟹の名産地。そうして私の中学時代の唯一の友人N君がいる-
エッセイ「津軽」の一節、そのN君がK男の父親なのです。
太宰は-N氏をすこぶる鷹揚にぬけたようなところがある人物で、
そこが二人の友情の鍵かも知れなかった-と云ってます。
太宰がN氏の客間で襖を閉め原稿を書きその後、宴の前に
2才半頃のK男が銭湯につれて行ってもらったこと、積木と
木の蒸気機関車をもらったことを等を父親N氏を介し回想してます。
また、あの斜陽館にN氏が2週間も滞在したこと、太宰の
記念碑建立の資金集めにN氏が奔走したことも記して
あります。
-なつかしきN君ぼくは君が中学時代から、変わりなくささげつくし
くれたあつい友情に対し、突然の心中をもって報いたことを思えば
ただ胸が痛むばかり・・・
君の友情を思いながらもあのとき、僕はどうしても死ななければなら
なかったのです。この世に生まれてきてすみません。
君の奥さんにくれぐれもよろしく。では失敬。 治-
これはN氏にあてた悔恨の文だったのでしょうか・・・
こうして青森が生んだ偉大な作家太宰治の生誕100年に
当たり、知られざるエピソードを知る思いです。
敬愛してやまない太宰治・・・
時折望郷の思い出津軽を見つめ、太宰を慕いなから劇作家として、
K男さんの世界し確率して欲しいと思ってます!