わいわいサロン

思いつくまま、気のむくままに綴ってます!

太宰とK男!

2009-11-29 11:01:58 | Weblog

先日友人のA子さんから手紙が来ました。

その中にK男さんが太宰治について書いた「私と太宰」
と云うタイトルで、エッセイの写しが入っていました。
(青森県の東奥日報新聞のコラム3回シリーズ掲載)

A子─同級生で同郷人K男 青森県蟹田出身(現外ケ浜)
    劇作家、演出家(東京在住)        
                │
    父親N(故)当時、蟹田市で精米業を営む─友人太宰治

-蟹田は蟹の名産地。そうして私の中学時代の唯一の友人N君がいる-
  エッセイ「津軽」の一節、そのN君がK男の父親なのです。

太宰は-N氏をすこぶる鷹揚にぬけたようなところがある人物で、
      
そこが二人の友情の鍵かも知れなかった-と云ってます。

太宰がN氏の客間で襖を閉め原稿を書きその後、宴の前に
2才半頃のK男が銭湯につれて行ってもらったこと、積木と
木の蒸気機関車をもらったことを等を父親N氏を介し回想してます。

また、あの斜陽館にN氏が2週間も滞在したこと、太宰の
記念碑建立の資金集めにN氏が奔走したことも記して
あります。

-なつかしきN君ぼくは君が中学時代から、変わりなくささげつくし
 くれたあつい友情に対し、突然の心中をもって報いたことを思えば
 ただ胸が痛むばかり・・・
 君の友情を思いながらもあのとき、僕はどうしても死ななければなら
 なかったのです。この世に生まれてきてすみません。
 君の奥さんにくれぐれもよろしく。では失敬。 治-

これはN氏にあてた悔恨の文だったのでしょうか・・・

こうして青森が生んだ偉大な作家太宰治の生誕100年に
当たり、知られざるエピソードを知る思いです。

敬愛してやまない太宰治・・・ 
時折望郷の思い出津軽を見つめ、太宰を慕いなから劇作家として、
K男さんの世界し確率して欲しいと思ってます!


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