五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2014・11・28

2014-11-29 12:46:18 | 日記
●M家の人々(27) 稔が東京外国語学校に合格する為に寸暇を惜しんで猛勉強している頃、道路を挟んだ実践女子学校でも恵津子が宝塚歌劇団の試験を受ける為に「猛特訓」していた。自分に音楽的芸術的才能がないことは分かっていた。でも、ジャージャンに宝塚歌劇に連れていかれる内に当時スターだった小夜福子の大ファンになった恵津子は、何とかして端役でもいいから小夜福子さんと同じ舞台に上がりたいという気持ちが強くなったのだ。でも、その気持ちを恵津子はジャージャンに告げることはできなかった。小学校の時、ジャージャンに勧められて踊りやピアノを習ったものの今一つ上達せず、ジャージャンの専門分野だった声楽においては、やれ高音域がまるで出でないとか、やれ音程がとれてないとかさんざんで、恵津子はジャージャンの声楽の授業をいつの間にか避ける様になっていた。だから女学校に入って音楽部に所属したのはジャージャンには内緒だった。内緒で上達して、宝塚を受けられるまでになってジャージャンを見返したかったのだ。でも、ある日、音楽部の担当の桜田先生が恵津子が宝塚を目指していると知って真剣な顔をして云った。「お国は何処?……半島?それとも台湾?」恵津子は桜田の質問の意味が分からなかった。それが恵津子のイントーーションが悪いので朝鮮籍か台湾籍か聞いていたと分かったのはしばらく経ってからだ。「悪いことは言わないからそんな無謀なことは今のうちに諦めなさい。あなたには根本的に音楽心というのが欠けているのよ。趣味で唄うのはいいけど、お金を取って他人に聞かせる才能があるとは私には思えないわ」ジャージャンだけじゃなく、日頃妹みたいに恵津子のことを可愛がってくれていた桜田先生にまでそんなことを言われて、恵津子の夢はふくらむ前に消えた。●今日の徒然 昼からの営業を始めて9時半前には部屋を出て、帰りは早くて夜の12時過ぎになるもんだから、宅配便や書留などの受け取りに困ってしまう。不在配達通知が入っていても時間指定が出来ないのだ。結局は配達センター預かりということになって受け取りにいくことになるのだが、中身がキャッシュカードだったりすると配達センターでは保管しないもんだから、配達担当者と連絡をとって九時から九時半までに配達して貰える時間を探ることになる。そうしてやっと受け取ったdinosカード。今全く使ってないんだけど、こうして苦労して受け取ったりすると、破棄脱退するのが惜しくなってしまうから不思議だ。買い物して10時半に店。ランチにお客さんは一人もなし。ウーン……ど唸るだけ。それでも一応お客さんを待つフリをしながら四時まで夜のパーティ用の変わり稲荷寿司作り。何が変わっているかというと……説明するのが難しい。要するにちりめんじゃこやひじきを入れたすし飯を揚げに詰め込んで、その上に人参やかぶの漬け物のみじん切りやマグロとアボガドのワサビ醬油和えやゆで卵を半分乗っけたりして見た目を鮮やかにしただけのことなんだけど、並べてみるとカワイクて女の子っぽい。他に十数人分のすき焼きともつの味噌煮込み、バカリャウ(干し鱈)のコロッケ、ピザ風ポテトフライなどを用意。パーティは脚本家のKさんが主宰した元NテレビプロデューサーだったOさんを囲む会。Oさんに育てられた脚本家のHさん、監督のSさん、Nテレビ時代の部下だったNさんたち、そしてOさんに青春スターとしてデビューさせて貰った中村雅俊、彼と「俺たちの旅」というドラマでコンビを組んだ田中健、同じ番組のレギュラーで、先日の芝居「デンティスト」に出演して貰った水沢有美など集まり、和気藹々とした集いになる。10時過ぎ解散した後、偶然お客さんできた美人デザイナーのSさんに後片付けを手伝って貰って、その替わりにワインを奢って一緒に飲む……というか飲んで貰う。2時近く、かなり酔っぱらったけど、彼女のマンションは近いので送って帰ろうと歩きだしたまではよかったが、運動神経がやられたみたいでフラフラ歩くもんだから、危ないからタクシーにのりましょ?とSさんに「介護」されてしまった。、、

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