手馴れたところで榛名・音羽山の東コース周回、先日傷めた足の回復具合の
確認だ。登山口が自宅から僅か20k弱、時間にして片道30分だから途中撤退でも
無駄足と言う感じにはならない。
箕郷町のR-126で駒寄を通過、林道「東・南榛名山線」の交差地点、この角に
常夜燈、この街道には榛名神社に向かう道が二本もあるので其の為か?
銘は1833年の作、偶然ながら爺イの誕生年の丁度百年前。
この道標でR-28に至る全長5.2Kの東榛名山線に入る。路面は完璧だが両側の草刈が
未了で草が垂れ下がっているので道幅は狭く感ずる。
蛇行道を2.2K、林道が最北端に達したところのこの看板脇の小スペースに駐車。
看板にはこれから行く音羽山と鐘撞山の名も。位置は既に鐘撞山の真東に当たる。
ここから発する道はあくまで作業道であり、国土院地形図にある北上の実線に
該当する道はここから約50m東寄りの位置から発する(10.40)。
沢の右岸をかなりの勾配で登って行くと鐘撞東南コースに繋がる林道と合流する。
この位置から100m程戻って西への斜面を行けば鐘撞の北側鞍部に達する簡便コースで
帰途に利用する積り。
作業道の山手側は何らの防災措置もされていないので落石跡も随所にある。
合流から0.6k程で右の沢はどん詰まりになりその上を渡って大きく東に旋回して
尾根を跨いで
東側の沢の右岸を歩く。
やがて大きな分岐は右へ。左の作業道は斜面にぶつかって消滅するので駄目。
この地点が作業道の最高点で後は下り道になる。
音羽東麓には大きな伐採地が二箇所ある。今回は未だ歩いていない下の伐採地も
歩いて見る積りなので東北への道を進む。
やがて想定した「下の伐採地」への入口、だが歩けそうな筋は水路化していて断念。
更に進んで地形図実線との交点近くで第二の候補地点、こんなに崩れていた。
這い登ると上は流れ溜った伐採材が山を為していた。何とか乗り越えて振り返ると
まるで戦国時代の「鹿砦(逆茂木)」を髣髴させるぐらい。
その先の伐採地には幸いにして作業道が残っていた。
又、鹿砦もどき。今度は乗り越え不能で右から大きく迂回。
高度を上げて曲がり角、前方に次の「上の伐採地」が見えたが距離がありそうで
早くも伐採地歩きはウンザリ。
やがて東からの林道に突き当たって伐採地は終了。この看板を北へ向かうのが
地形図の実線で堰堤を越えてR-28からの林道に達する。
此方はここから左に急旋回して上の伐採地の取り付き点に向かう。
取り付き地点から南が少し開けて藤岡方面と推定できる山並み。
伐採地の中の作業道はこんな感じで植林された檜の幼木も大分成長してきた。
だが、吉井のどんぐりの森運動に見るように何故今から杉や檜なんだろうかの疑問。
三年前のここはタラの芽の木の栽培地で春先の通過は遠慮したものだ。
左手奥に見える山が音羽から流れる稜線の東端、先ずそこに登り上げるのだ。
作業道は途中で途切れる。そこにブルー紐、一瞬G氏のものとも思ったが結び方が
全く違うので林業用だろう。
ここからはこんな斜面登りになるが周辺の雑草は伐採してあるので藪ではない。
但し、多数の切り口が錐のように上向きになっているので刺さないように
スパッツを装着して慎重に踏みしめる。
段々と右手の林に寄って行き
林との境にあった大岩の影に逃げ込んで一休み。
登って来た方を振り返る。下の伐採地は遥かに遠くになっていた。
前橋方面、県庁が微かに見える。
高崎方面、市庁舎は白いので肉眼では確認できるが写真では駄目。
林の中は藪が濃くて歩けないので、伐採地を乗り切って何とか稜線に到着(12.20)。
この先も稜線のコブを目指して急登は続く。
もう一度振り返るともう下の伐採地は林の陰で見えず、上の伐採地も遥かに下方。
頑張って第一のコブに到着。
ここからは「山に来た」と実感する岩尾根の連続で面白い。
岩場を抜けると榛名特有の笹原となるがここは踏み跡が明瞭なので迷いはない。
やがて樹幹に赤テープ、ここから前面の濃い藪に突入して直進すると言う目印に
初めて来た数年前に付けたもの。藪は約50m。
突然、長い頂上台地の東端、樹葉に周囲を圧縮された息苦しいような狭さ。
現存の標識は二枚、MHCさんの物は傷みが激しいのであと数年で危ない(12.46)。
かって存在した爺イのものはどうやら土に返ったらしい。当時の姿。
三角点は三等で点名・音羽、1014.72m。
標識の裏手はこっちから見るとこんな藪、誰が見てもこの奥に登山路があるとは
思わないだろう。
本日の爺イ。
頂上台地の西端の陽だまりに移動して昼食と休憩。この時期は紅葉にも早いので
人の気配なし。
下山路は笹に覆われて判然としないが、この標識の所から出発(13.02)。
途中の急降地点を含めて踏み跡が大体分かるので迷わない。
夏の名残、この主も今年の使命を終わっているのだな。
爺イの付けた覚えのある標識が未だ健在、釘打ちしたことを今も反省しているが
時々、この標識で安心したと言う記事も見かけるので今更外せなくなっている。
一寸したコブの上から何気なく直進してしまい、雑木と植林地帯の境目を下って
しまつた。途中で間違いと悟って登り返して右の尾根。20分のロス。
この杭を外してはならないのだが赤のプラ杭に釣られてしまったのだ。一人歩きの
下りには馴れに甘んじたボンヤリは絶対に禁物だな。
かつては難所に感じていた岩帯の下りも何気なく通り過ぎ目印の第一の岩突起は右。
次の二つ目の突起を越えたら歩き易そうな直進尾根はだめで、大きく右旋回して
右下の窪に下りる。
やがて新規の物に付け替えられた標識前、既に鐘撞との鞍部に差し掛かっている。
この標識の初代は水が入って滲み、今は読めないが傍らに未だ鎮座する。
かって某老人会が前ノ沢林道から鐘撞山に行くと言うので地元の方が設置したもの。
その先に爺イのも健在。ここから鐘撞山まで歩行距離250m位、等高線3本。
疲れ気味の足では、ほんの一歩きよりややきつめ。
頂上には北口に石碑。「御嶽大神」と「阿夫利大神」、隣に石宮(13.58)。
と、石宮の手前に標識の残骸が置いてある。これは多分既に老朽した爺イの標識。
これと同じ事が高戸谷山でも見ている。同じく石宮の手前に腐って落下した爺イの
標識が廃棄されることも無く大事に置いてあった。
薄い笹薮を南に10m程で三角点。四等金属票で点名・鐘撞 838.7m。
矢張り標識は見当たらない。石宮そばのが残骸だろう、かつての姿。
休憩の後、下山に掛かりさっきの北の鞍部、ここから前ノ沢林道とは反対の東の
林に向かって直滑降。写真では良く判らないがかなりの急降(14.13)。
積雪時には尻スキーで遊べる斜面。
林が途切れる頃、右に寄ると水路化してはいるが作業道が現れるのでそのまま前進。
山裾を回りながら下り、上の林道着が14.27、林の中をショートカットして往路に
使った下の林道を膝に負担をかけずにゆっくり下る。
駐車場所に到着は14.37、心配していた足の損傷は殆ど痛まなかったので完治としよう。
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確認だ。登山口が自宅から僅か20k弱、時間にして片道30分だから途中撤退でも
無駄足と言う感じにはならない。
箕郷町のR-126で駒寄を通過、林道「東・南榛名山線」の交差地点、この角に
常夜燈、この街道には榛名神社に向かう道が二本もあるので其の為か?
銘は1833年の作、偶然ながら爺イの誕生年の丁度百年前。
この道標でR-28に至る全長5.2Kの東榛名山線に入る。路面は完璧だが両側の草刈が
未了で草が垂れ下がっているので道幅は狭く感ずる。
蛇行道を2.2K、林道が最北端に達したところのこの看板脇の小スペースに駐車。
看板にはこれから行く音羽山と鐘撞山の名も。位置は既に鐘撞山の真東に当たる。
ここから発する道はあくまで作業道であり、国土院地形図にある北上の実線に
該当する道はここから約50m東寄りの位置から発する(10.40)。
沢の右岸をかなりの勾配で登って行くと鐘撞東南コースに繋がる林道と合流する。
この位置から100m程戻って西への斜面を行けば鐘撞の北側鞍部に達する簡便コースで
帰途に利用する積り。
作業道の山手側は何らの防災措置もされていないので落石跡も随所にある。
合流から0.6k程で右の沢はどん詰まりになりその上を渡って大きく東に旋回して
尾根を跨いで
東側の沢の右岸を歩く。
やがて大きな分岐は右へ。左の作業道は斜面にぶつかって消滅するので駄目。
この地点が作業道の最高点で後は下り道になる。
音羽東麓には大きな伐採地が二箇所ある。今回は未だ歩いていない下の伐採地も
歩いて見る積りなので東北への道を進む。
やがて想定した「下の伐採地」への入口、だが歩けそうな筋は水路化していて断念。
更に進んで地形図実線との交点近くで第二の候補地点、こんなに崩れていた。
這い登ると上は流れ溜った伐採材が山を為していた。何とか乗り越えて振り返ると
まるで戦国時代の「鹿砦(逆茂木)」を髣髴させるぐらい。
その先の伐採地には幸いにして作業道が残っていた。
又、鹿砦もどき。今度は乗り越え不能で右から大きく迂回。
高度を上げて曲がり角、前方に次の「上の伐採地」が見えたが距離がありそうで
早くも伐採地歩きはウンザリ。
やがて東からの林道に突き当たって伐採地は終了。この看板を北へ向かうのが
地形図の実線で堰堤を越えてR-28からの林道に達する。
此方はここから左に急旋回して上の伐採地の取り付き点に向かう。
取り付き地点から南が少し開けて藤岡方面と推定できる山並み。
伐採地の中の作業道はこんな感じで植林された檜の幼木も大分成長してきた。
だが、吉井のどんぐりの森運動に見るように何故今から杉や檜なんだろうかの疑問。
三年前のここはタラの芽の木の栽培地で春先の通過は遠慮したものだ。
左手奥に見える山が音羽から流れる稜線の東端、先ずそこに登り上げるのだ。
作業道は途中で途切れる。そこにブルー紐、一瞬G氏のものとも思ったが結び方が
全く違うので林業用だろう。
ここからはこんな斜面登りになるが周辺の雑草は伐採してあるので藪ではない。
但し、多数の切り口が錐のように上向きになっているので刺さないように
スパッツを装着して慎重に踏みしめる。
段々と右手の林に寄って行き
林との境にあった大岩の影に逃げ込んで一休み。
登って来た方を振り返る。下の伐採地は遥かに遠くになっていた。
前橋方面、県庁が微かに見える。
高崎方面、市庁舎は白いので肉眼では確認できるが写真では駄目。
林の中は藪が濃くて歩けないので、伐採地を乗り切って何とか稜線に到着(12.20)。
この先も稜線のコブを目指して急登は続く。
もう一度振り返るともう下の伐採地は林の陰で見えず、上の伐採地も遥かに下方。
頑張って第一のコブに到着。
ここからは「山に来た」と実感する岩尾根の連続で面白い。
岩場を抜けると榛名特有の笹原となるがここは踏み跡が明瞭なので迷いはない。
やがて樹幹に赤テープ、ここから前面の濃い藪に突入して直進すると言う目印に
初めて来た数年前に付けたもの。藪は約50m。
突然、長い頂上台地の東端、樹葉に周囲を圧縮された息苦しいような狭さ。
現存の標識は二枚、MHCさんの物は傷みが激しいのであと数年で危ない(12.46)。
かって存在した爺イのものはどうやら土に返ったらしい。当時の姿。
三角点は三等で点名・音羽、1014.72m。
標識の裏手はこっちから見るとこんな藪、誰が見てもこの奥に登山路があるとは
思わないだろう。
本日の爺イ。
頂上台地の西端の陽だまりに移動して昼食と休憩。この時期は紅葉にも早いので
人の気配なし。
下山路は笹に覆われて判然としないが、この標識の所から出発(13.02)。
途中の急降地点を含めて踏み跡が大体分かるので迷わない。
夏の名残、この主も今年の使命を終わっているのだな。
爺イの付けた覚えのある標識が未だ健在、釘打ちしたことを今も反省しているが
時々、この標識で安心したと言う記事も見かけるので今更外せなくなっている。
一寸したコブの上から何気なく直進してしまい、雑木と植林地帯の境目を下って
しまつた。途中で間違いと悟って登り返して右の尾根。20分のロス。
この杭を外してはならないのだが赤のプラ杭に釣られてしまったのだ。一人歩きの
下りには馴れに甘んじたボンヤリは絶対に禁物だな。
かつては難所に感じていた岩帯の下りも何気なく通り過ぎ目印の第一の岩突起は右。
次の二つ目の突起を越えたら歩き易そうな直進尾根はだめで、大きく右旋回して
右下の窪に下りる。
やがて新規の物に付け替えられた標識前、既に鐘撞との鞍部に差し掛かっている。
この標識の初代は水が入って滲み、今は読めないが傍らに未だ鎮座する。
かって某老人会が前ノ沢林道から鐘撞山に行くと言うので地元の方が設置したもの。
その先に爺イのも健在。ここから鐘撞山まで歩行距離250m位、等高線3本。
疲れ気味の足では、ほんの一歩きよりややきつめ。
頂上には北口に石碑。「御嶽大神」と「阿夫利大神」、隣に石宮(13.58)。
と、石宮の手前に標識の残骸が置いてある。これは多分既に老朽した爺イの標識。
これと同じ事が高戸谷山でも見ている。同じく石宮の手前に腐って落下した爺イの
標識が廃棄されることも無く大事に置いてあった。
薄い笹薮を南に10m程で三角点。四等金属票で点名・鐘撞 838.7m。
矢張り標識は見当たらない。石宮そばのが残骸だろう、かつての姿。
休憩の後、下山に掛かりさっきの北の鞍部、ここから前ノ沢林道とは反対の東の
林に向かって直滑降。写真では良く判らないがかなりの急降(14.13)。
積雪時には尻スキーで遊べる斜面。
林が途切れる頃、右に寄ると水路化してはいるが作業道が現れるのでそのまま前進。
山裾を回りながら下り、上の林道着が14.27、林の中をショートカットして往路に
使った下の林道を膝に負担をかけずにゆっくり下る。
駐車場所に到着は14.37、心配していた足の損傷は殆ど痛まなかったので完治としよう。
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ありませんが、前ノ沢林道終点からの西周り
ルートで親子熊に出会って逃げ帰った事があります。
小生の対策は先ず携帯ラジオを鳴らしながらですが「山は静かに登れ」とお叱りを受けた事もあります。
第二は高音・中音・低音の三種類の鈴をつけています。
実際はこの辺のは雑食性のツキノワグマですから熊の方が人間を怖がっているので人間の
存在を先に知らせてやれば熊のほうから先に
退散します。危ないのは出会い頭だそうです。過去に四回遭遇していますが何れも何事も無く
やり過ごしました。
熊より出会い頭で怖いのは猪です。視力が
弱く動くものに突進してくるので要注意。
先ず標準的なものはこれをご覧下さり
ご参考にしてください。音羽西面そのものは
断崖なので登る気にはならないので西を通過して一旦1010m無銘峰(突起)に行き南に下がって
きます。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/6d5f27f8390514edad5c3e07f000f617
二つ目はその1010m峰に違う道で到達する
方法で、おおまけに見て西コースと云えます。
それは此方から。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/7e4235431b084f315d550e12fde7c748
最後はもっとこじつけで唐松キャンプ場跡(今は
閉鎖されて看板も外されている)から入って
1010m峰の北側鞍部に達する道があるので
そこから南進してくる方法。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/f1da2128bb9cfb0c77b3f2d6657aca74
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/c97bd405d7c842f0d578e15afb7b98d9
分かりました。また解らない事があったら教えて下さい。宜しくお願いします。
かっての常識は「熊は四月の若芽が出る頃まで冬眠する。冬場に姿を見せるのは
冬眠(実体は仮眠)に失敗した(穴持たず)で空腹なので極めて凶暴」と言うものでした。
熊谷達也著・ウェンカムイの爪や増田俊成著・シャトゥーンで語られているのが
それの代表です。だから伊香保周辺の目撃はツキノワグマと云っても
空腹で気が立っている奴かも知れません。
但し、最近では「富栄養の穴持たず」ということで、穴ごもりせず冬でも活動して
いるものもいるといわれます。対応は夏場と同じと思います。
積雪時の登山は小生はアイゼンを装着しますが、最近は低山ならスパイク長靴を
使う人が多いようで深雪ならスノーシューが流行と思いますが少々の練習が
必要と聞いております。