クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

朝日岳周回  H-21-2-28

2009-03-01 09:10:06 | 高崎・甘楽・藤岡方面
久し振りの里山ハイキング、昨日の肺機能検診で山行きO.Kの
お墨付きが出たので。
手慣れた所で甘楽・吉井に跨る朝日岳の北峰と南峰の周回、コースは
昨年辺りに新しく設置された天引城址登山口看板から入って北峰から
南峰、そして岩帯を西に抜けて幕岩分岐から北に直滑降して甘楽・田口。
71号線で南下して神戸バス停から完成した「草喰・八丁河原線」に入つて
西へ。林道とはいえ県道71号より遥かに幅広く立派な生活道路。
但し、管轄が甘楽町らしくこの道標は途中の吉井・甘楽境界線にある。



右手のゴルフ場からのボールを警戒しながら進んで林道頂点に道標。
支度して防災壁の下に立ち登路を探すが全く判らない。(11.13)



已む無く防災壁の縁の上に登って東に回り急斜面に突入。やれやれ
飛んでもない藪だ。上を観察すると、直登は窪に嵌り込んで崖になるので
コリャ拙い。



西方に回りこんで小尾根のような斜面を登ると細い段落、早くも腰曲輪?
それとも「犬走り」? それに沿って今度は少し東へ。



やがて待望の目印発見、もう大丈夫。ここは杉林と雑木林の境目。



上への薄い踏み跡を頼りに急登を進むとやや広い場所、こんな所を
「半月状曲輪」とでも言うのかな? (11.30)



振り返るとゴルフ場が真下にみえる。



さてここからは前面の大岩が立ち塞がる。左手の岩場に目印が
あったが短足爺イは割れ目に足が届かず、右手から回り込んで岩上の
尾根に合流して急登が続く。
やがて傾斜が緩み、細い堀切を越えると大コブ二つほど乗り切ったら
何やら標柱、頂部に捻じ込まれている金具が気になり只の境界杭とは
違うと思つたが側面は見られなかった。ここで標高は約360m、
出だしが約200mだから全標高差は約250mの筈だから未だ先は長い。



少し尾根歩きを経るといよいよ、三段ある腰曲輪の攻略に掛かる(三段目は
帯曲輪)。コブの乗り切りと同じこと。息を切らせて本曲輪着。
(12.22-12.51)
約30m径の円形台地、伝説では八世紀の初期、羊太夫が築城し八束の
本城に対して狼煙台としたとされるが造りからすれば素人目からも
中世のもの。お馴染みG氏のプレートと少し傷んだ爺イの標識。
あれっ 城山とはこの辺では吉井の八束山の事ですよ!




本日の爺イと三等三角点、点名は「草喰」、点名「天引」は全く別の
稜線上にあるし「天引山」は甘楽・吉井境の魔利支天山のこと。




昼食・休憩中、軽装の単独氏が東コースから上がってきて一寸挨拶して
から風の如く足早に南峰に向かって行った。
時間を置いてこちらも出発、南峰への道も深い堀切があるので楽ではない。
頂上直前で左からの南ルートと道を合わせて展望台の様な「多胡美人」着。
途中で単独氏とすれ違い、雑談したら大変な里山通で爺イなど遠く及ばない。
ここにもG氏のプレートと古くからある標識、殆ど文字も読めなくなった。




眼下には東谷ダムがやや霞んで見下ろせる。



一休みの後、西コースで下山に掛かる。(13.36)ここは夏場は雑木・雑草が
煩くとても通過する気にはならないから今の内が楽しみの時期。
細い踏み後を辿り最初の岩場は右に巻いて北側を通過する。
そして次が爺イ推奨の人面岩。眼鏡は写真の加工。



この岩は右の割れ目から乗り越える。次の岩場との間から右下の崖を
見ると3m下に赤テープと踏み跡が見えるので滑り降りる。
岩帯に沿って西進して突き当たった所から恐怖の窪下りが始まる。



ザラ場の上に大量の落ち葉が堆積しているので軽アイゼンを装着して
体を横にしストックと立ち木に頼り切ってソロソロと。
立っていられない傾斜部分は已む無くしゃがみ込んで尻スキー、ブレーキは
両足の踵。こんなところが道無し里山の醍醐味だろう。こんなキノコ。



左の岩帯が終わったところが分岐、左に進めば甘楽・幕岩の豪快な絶壁が
堪能できる。まあ、艫岩よりは一寸落ちるが幕という名の如く横への
広がりは見事だ。



こちらは右下に向かって再びの直滑降、転倒したら一巻の終わりだから
ぞくぞくする緊張感。やがて再び分岐、今度は左への尾根跨ぎで大きく
西への水平路、ここから踏み跡出現、完全に尾根を回りきったところに
このテープ。



ここから西下の窪に滑り降りる。急降の窪の先にはヒノキ林、入り口に
この目印。



ヒノキ林を抜けるとこの爺イの道標。ここが国土院地形図に実線で描かれて
いる林道の始まり。とは言っても只の沢にしか見えない。



林道はこんな感じ。



やがてこの道標を見たら沢を左岸に渡って再び岩の露出した林道跡。



朽ち果てたような砕石場の看板を見て会社の私道と合流して



西登山口到着。この道標は樹幹にぶら提げて置いたのだが、付近の
伐採のとき、関係者がガードレールに取り付けてくれたもの。(14.32)



あとはのんびりと約0.5k位の登り林道で駐車場所着(14.40)
どうやら肺機能は相当改善されたような感じなので一安心。
但し、立ち止まり息継ぎが少なくなった代わりに足に負担が多くなった。
まあ、後期高齢者二年目になればこんな物かな。



帰途に牛伏山へ、登ったのではなく車のままで山頂神社前。
目的は「牛伏山岳会」さんが最近取り付けた二代目山頂標識を
コレクションに加えるため。



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2 コメント

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Unknown (楚巒山楽会代表幹事)
2009-03-06 10:29:25
山歩き再開おめでとうございます。くれぐれもご無理されませんように。
返信する
追悼 (爺イ)
2009-03-14 20:57:54
このコメントから僅か三日の後に
貴兄の訃報に接するとは正に
晴天の霹靂で愕然としております。
でも貴兄の愛した山でと聞いて幾らかは救われます。苦しかったですか?
痛かったですか?私のような爺イが
生きていて未だ55才の筈の貴兄が
先に逝ってしまうとはこの世の不条理を呪いたくなります。
貴兄のHPは残されるそうですので
何時までも山仲間への指針として
輝くと思います。
今までのご厚情に感謝しつつお別れ致します。安らかにお眠りください。
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