慣れ親しんでいる周回ハイクコースーー恐らく多くの
ハイカーさん達と同様に爺イにも体力に見合った
お気に入りが幾つかある。その中の一つが本日調査する
自称「水沢山簡便周回コース」でルートは船尾滝駐車場を
発して船尾滝・小野関三太夫石碑を経て船尾像脇を通る
林道末端から涸れ沢を突っ切り上野原林道からの丸太段の
遊歩道を捕捉して上野原林道の水沢山西登山口から400m
南にある「榛名県有林」の大標柱付近に辿り着く。
かってここには標識さえ存在したれっきとしたハイクコース。
ここまでで標高差425mなので既に爺イにとっては低山一つ
登ったと同然。そして水沢山を西から乗り越えて水沢寺に
向かって下降、途中の遊歩道分岐を利用して船尾駐車場に
帰着するもの。
考えた動機は恥ずかしながら水沢寺からの登山路が
もう登れなくなり水沢山は専ら西コースから。だが
インチキコースとの自覚があるので自己満足のため
少し味付けしただけの話。
2017年、7月頃の迷走台風による各地の豪雨被害が落ち付いた
9月29日に久し振りにこのコースの周回を試みて涸れ沢の
入口に来たら何と沢が大荒れで何時も縁を抜けていた
堰堤がバラバラになって崩れていた。
爺イの技量ではとてもこんな崩壊沢を抜けることなんか
出来る筈が無いのであっさり撤退してそれ以来ここに
近づいたことはなかった。所が先日、鷹ノ巣林道の崩落
現場を一寸した工夫で乗り切れたのでここへの再挑戦の
意欲が湧いてきて船尾滝見物を兼ねてこの入口に来た。
ここまでの状況は本題でないのでyoutubeで末尾に簡単に。
林道から沢への入口に今までなかった新しいオレンジリボンが
付いている。このタイプの目印は時々低山で目にするが
その都度、爺イは大いに助かっているのでどなたが
付けたのかは分からないが信用度は絶大なので入り込む。
駐車場から既に150mの高度差になっているから残りは
比高270m。
目の前に記憶にある景色。台石の様なコンクリートを
渡る箇所だが2017年に目撃した崩落場所はこの先。
これが目撃して堰堤崩落だとビックリの上に退散した状態。
確かにこの位置からは崖下の河川敷に降りることは
出来ないが少し後退して探ると土手の縁がぽっかりと
切り込まれていた。
入り込むと難なく河川敷に立って前方が良く観察できる。
崩落のコンクリート片が堰堤にしては薄すぎ、良く見たら
林道保護の防災壁が土砂共に崩落しただけで今までの
堰堤崩落と言うのは全くの見当違いだった。
さてここの突破ルートを観察したらこの画面の左端辺りの
土砂が積み上がって堰堤の縁に近いので這い上がる。
堰堤の上は全ての砂防ダムと同じく流出の土石を食い止めて
貯めているので唯の荒れ地。
オレンジリボンにリードされて無理なく上のやや大きい
堰堤に向かうと
堰堤右端にこれまた記憶にある乗り越え場所。
堰堤の端に立って横断方向を見る。間に段差があるが
大した問題ではない。
渡り切って振り返り。堰堤そのものは何の損傷も無い。
チラと前を見れば目印リボンがヒラヒラ。おまけに
上野原林道からの遊歩道の象徴の様な丸太段が見える。
崩落堰堤の抜け道探索などと大袈裟なことだったと
一人苦笑いの出る呆気なさ。こちらは唯オレンジリボンの
追いかけやっただげ。
強烈な丸太段が始まる。ここは急斜面なので尾根迄は
こんなのをこなさなくてはならない。
斜面トラバースの危うい細道を通ったりして何とか
最初の小尾根がみえてエッサエッサで踏ん張る。
着いた小尾根には右折の表示板。
右折すると次の尾根に向かって傾斜の厳しい丸太段。
リボンに元気をもらってこんな林間を通過。
丁字路に出るので右折。左折道は閉鎖されている。
10分も歩くと又長い丸太段。もう声も無く黙々と
歩を刻むだけ。
新しい尾根着。ここは左へ。このコース、ここからが長く
ここまでの一時間に加えてあと45分も掛かっている。
右手に水沢山の東部分が見えてた。水沢の東から
西までを歩くと同等の距離が残って居る。
こんな意地悪い高みの乗り越えが何か所も。
目印の大岩通過。
珍しくも岩尾根、単調さを紛らわすに丁度良いい。
その上は露岩の多い尾根道。
水沢山西峰の電波塔が見える。
こんな登りに辟易していると
今度は相馬山が見えてきた。いつ見ても何処から見ても
威風堂々。
漸く林道の白いガードレールが見えて一安心。
そして榛名県有林の大標柱脇に到着。但し出口は
封鎖されているので脇から抜ける。
崩落沢から1時間46分。因みに帰路は1時間2分。
もう水沢を乗り越して帰る体力は無いのでここで
ピストン。出口に県有林管理員の人が軽トラに
乗っていたが閉鎖ルートの入り込みでとがめられる
ことも無く広域の県有林管理の難しさについて
ご高説を拝聴で済んだ。休憩と遅い昼飯。
で、本日の爺イ。
帰路は幸いにして登り返しが殆どなくホイホイの
調子で堰堤前。実は往路で堰堤横切りの時に直接
沢に向かっている木枠段を見ている。堰堤横切りなどが
正規のルートである筈はないのでこっちが正統派と
見られる。
但しそれを目で追っていくと小沢二本を渡ってから
崩落の残骸の堆積で消えている感じなので確認は
止めにした。
矢張り往路の堰堤を横断。
堰堤の半分はこんな荒れ地と化している。
そして遥かな下に林道帰着点が見え
到着して一休み。
そして船尾像後ろを通過して
ノンビリと咲き始めた
八重桜をみながら林道下りで帰着。
来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング
9勝6敗3分 (04/15現在)二位浮上 トラの尾が見えた
船尾滝遊歩道
ハイカーさん達と同様に爺イにも体力に見合った
お気に入りが幾つかある。その中の一つが本日調査する
自称「水沢山簡便周回コース」でルートは船尾滝駐車場を
発して船尾滝・小野関三太夫石碑を経て船尾像脇を通る
林道末端から涸れ沢を突っ切り上野原林道からの丸太段の
遊歩道を捕捉して上野原林道の水沢山西登山口から400m
南にある「榛名県有林」の大標柱付近に辿り着く。
かってここには標識さえ存在したれっきとしたハイクコース。
ここまでで標高差425mなので既に爺イにとっては低山一つ
登ったと同然。そして水沢山を西から乗り越えて水沢寺に
向かって下降、途中の遊歩道分岐を利用して船尾駐車場に
帰着するもの。
考えた動機は恥ずかしながら水沢寺からの登山路が
もう登れなくなり水沢山は専ら西コースから。だが
インチキコースとの自覚があるので自己満足のため
少し味付けしただけの話。
2017年、7月頃の迷走台風による各地の豪雨被害が落ち付いた
9月29日に久し振りにこのコースの周回を試みて涸れ沢の
入口に来たら何と沢が大荒れで何時も縁を抜けていた
堰堤がバラバラになって崩れていた。
爺イの技量ではとてもこんな崩壊沢を抜けることなんか
出来る筈が無いのであっさり撤退してそれ以来ここに
近づいたことはなかった。所が先日、鷹ノ巣林道の崩落
現場を一寸した工夫で乗り切れたのでここへの再挑戦の
意欲が湧いてきて船尾滝見物を兼ねてこの入口に来た。
ここまでの状況は本題でないのでyoutubeで末尾に簡単に。
林道から沢への入口に今までなかった新しいオレンジリボンが
付いている。このタイプの目印は時々低山で目にするが
その都度、爺イは大いに助かっているのでどなたが
付けたのかは分からないが信用度は絶大なので入り込む。
駐車場から既に150mの高度差になっているから残りは
比高270m。
目の前に記憶にある景色。台石の様なコンクリートを
渡る箇所だが2017年に目撃した崩落場所はこの先。
これが目撃して堰堤崩落だとビックリの上に退散した状態。
確かにこの位置からは崖下の河川敷に降りることは
出来ないが少し後退して探ると土手の縁がぽっかりと
切り込まれていた。
入り込むと難なく河川敷に立って前方が良く観察できる。
崩落のコンクリート片が堰堤にしては薄すぎ、良く見たら
林道保護の防災壁が土砂共に崩落しただけで今までの
堰堤崩落と言うのは全くの見当違いだった。
さてここの突破ルートを観察したらこの画面の左端辺りの
土砂が積み上がって堰堤の縁に近いので這い上がる。
堰堤の上は全ての砂防ダムと同じく流出の土石を食い止めて
貯めているので唯の荒れ地。
オレンジリボンにリードされて無理なく上のやや大きい
堰堤に向かうと
堰堤右端にこれまた記憶にある乗り越え場所。
堰堤の端に立って横断方向を見る。間に段差があるが
大した問題ではない。
渡り切って振り返り。堰堤そのものは何の損傷も無い。
チラと前を見れば目印リボンがヒラヒラ。おまけに
上野原林道からの遊歩道の象徴の様な丸太段が見える。
崩落堰堤の抜け道探索などと大袈裟なことだったと
一人苦笑いの出る呆気なさ。こちらは唯オレンジリボンの
追いかけやっただげ。
強烈な丸太段が始まる。ここは急斜面なので尾根迄は
こんなのをこなさなくてはならない。
斜面トラバースの危うい細道を通ったりして何とか
最初の小尾根がみえてエッサエッサで踏ん張る。
着いた小尾根には右折の表示板。
右折すると次の尾根に向かって傾斜の厳しい丸太段。
リボンに元気をもらってこんな林間を通過。
丁字路に出るので右折。左折道は閉鎖されている。
10分も歩くと又長い丸太段。もう声も無く黙々と
歩を刻むだけ。
新しい尾根着。ここは左へ。このコース、ここからが長く
ここまでの一時間に加えてあと45分も掛かっている。
右手に水沢山の東部分が見えてた。水沢の東から
西までを歩くと同等の距離が残って居る。
こんな意地悪い高みの乗り越えが何か所も。
目印の大岩通過。
珍しくも岩尾根、単調さを紛らわすに丁度良いい。
その上は露岩の多い尾根道。
水沢山西峰の電波塔が見える。
こんな登りに辟易していると
今度は相馬山が見えてきた。いつ見ても何処から見ても
威風堂々。
漸く林道の白いガードレールが見えて一安心。
そして榛名県有林の大標柱脇に到着。但し出口は
封鎖されているので脇から抜ける。
崩落沢から1時間46分。因みに帰路は1時間2分。
もう水沢を乗り越して帰る体力は無いのでここで
ピストン。出口に県有林管理員の人が軽トラに
乗っていたが閉鎖ルートの入り込みでとがめられる
ことも無く広域の県有林管理の難しさについて
ご高説を拝聴で済んだ。休憩と遅い昼飯。
で、本日の爺イ。
帰路は幸いにして登り返しが殆どなくホイホイの
調子で堰堤前。実は往路で堰堤横切りの時に直接
沢に向かっている木枠段を見ている。堰堤横切りなどが
正規のルートである筈はないのでこっちが正統派と
見られる。
但しそれを目で追っていくと小沢二本を渡ってから
崩落の残骸の堆積で消えている感じなので確認は
止めにした。
矢張り往路の堰堤を横断。
堰堤の半分はこんな荒れ地と化している。
そして遥かな下に林道帰着点が見え
到着して一休み。
そして船尾像後ろを通過して
ノンビリと咲き始めた
八重桜をみながら林道下りで帰着。
来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング
9勝6敗3分 (04/15現在)二位浮上 トラの尾が見えた
船尾滝遊歩道
さらに今昔マップを見ますと破線が船尾滝からむし湯まで続いています。その道の出口を少し西に付け替えたのがピンクの目印の道だと思います。明治時代にはむし湯の浴客が船尾滝まで脚を伸ばしたのだろうか・・・逆に滝で修行する人がむし湯を利用することもあったのだろうか・・・などと昔の人の往来を想像するとロマンが広がります。
その道も今では荒れている上に封鎖されている・・・寂しい気もしますが、船尾滝が吉岡町で伊香保森林公園とは行政区が違うから整備が後回しなのでしょうか。
あと、金谷常平という著者の「榛名山歩」という本に静思像のモデルとなった人の話がちらっと出てきてました。
ご教示いただきました榛名散歩を
amasonに注文していましたが漸く
昨日届きました。未だ概略を見ただけですが殆ど行ったことのある場所が
題材で独特の雰囲気の随筆風なので
読むのが楽しみです。
尚、例の今昔マップも「お気にいり」
に登録して活用しており先日も
今の地形図では判らなかった
「物見塚」も確認できました。
今後とも宜しく。
だいぶ前のことですが、ワタシも滝下の悪沢のデレーケ堰堤を観て、そのまま沢伝いに登り、下りは、このルートで帰着したことがあります。
微かな踏み跡がありましたが、(動物の足跡も)実に静かなルートで、コンクリート堰堤ごとに迂回するのに苦労しました。
しばらく山に入っていなかったので、水沢西ルート辺りから、脚を戻していこうと思っています。
(爺様のブログの場をお借りして語るのも難ありですが)
「蒸し湯」は、利用されていたのは江戸時代で、主に南東麓(桃井郷)の里人が病気療養に利用していたようです。この辺りは当時は桃井郷十三箇村(現;榛東・吉岡・渋川市南部地域)の秣場(入会地)で、北側の伊香保村とは、何かと紛争があったようです。小屋を作ったり壊されたり、営業申請したり等、紆余曲折あって、明治初年に蒸し湯の営業許可が出ましたが、まもなく噴出が止まってしまい、立ち消えになったとのことです。
秣場としての争いも絡み、ロマンとは程遠いドロドロした欲望の歴史があったようです。
現森林公園の地域は明治年間に伊香保村に編入されたので、蒸し湯も伊香保の一部となりましたが、かつては南東麓の村々の方が自分達の物という意識が強かったようです。
榛名山歩の金谷氏の奥様は、ワタシの中学時代の恩師のようです。
金谷さんの奥様が中学時代の恩師とは!