桜の追っかけ、高校野球それに高崎映画祭と重なっているのでハイキングの
時間が中々取れなかったが、先日「ヤマイタチさん」が歩いた天引集落から
亀穴峠に至る長大な「天引尾根」のうち、爺イが未だ歩いていない箇所があるので
足慣らしに丁度良いと思って出掛けた。勿論、甲子園決勝戦は歩きながらラジオで。
吉井の町を南進してR-254に乗り西進、金井信号を左折してr-204(金井・小幡線)に
乗り換え。幅広の綺麗な道を約3.3k程で左にこの道標、ここが鳥屋(ドヤ)林道入り口で
終点は「天引森林公園園地」。r-204をそのまま直進すれば山裾を蛇行しながら
「甘楽町歴史民俗資料館」の信号で甘楽町の中心街に達する。
鳥屋林道を僅かに0.3kでこの看板のところで右への細道に入る。
直ぐ脇には「堂ノ入林道」の表示板。沢の左岸の細い道で集落を進む。
蛇行道を低速で走り0.8k程で右の斜面が開けて二つの庚申塔。
延享2年(1745)と寛政10年(1798)の銘がある。
甘楽町に四箇所ある磨崖仏の一つ、「熊野堂の磨崖仏」。
甘楽の磨崖仏はこの他に町重文の「引田の地蔵菩薩の磨崖仏」
「平石の阿弥陀磨崖仏」と1985年完成と新しいために文化財指定がされて
いないが一番有名な「長厳寺の磨崖」がある。
この熊野堂は江戸中期 1700年代の阿弥陀如来と推定されていて勿論
甘楽町の重文指定。
爺イはこの手の石像の撮影が下手糞で今回もこれで精一杯。高さは60㎝位?
近くには地元の人の奉納仏作品と見られるやや拙劣な石像物があるが
双神道祖神の他は判別できない。
この林道を進めば「堂ノ入北砂防ダム」を経て林道終点から尾根手繰りで
亀穴峠の西側稜線に達するが
今日は磨崖仏に車を置いて少し手前の地形図上に実線で書かれている
作業道を辿ってから天引尾根に乗って南の三角点・天引までを往復する
約6.5kのハイキング。
先ずこの橋で対岸に渡るが橋の脇に私有地・無断進入禁止とあったので
片手拝みで失礼して通してもらう。
出だしから傾斜のある道を先ず林の中を抜ける。乾燥した路面に
はっきりと轍の跡があるのでかっては相当利用されていた模様。
明るく開けた場所に出ると道は真っ直ぐに伸び、途中から舗装道。
やがてY字分岐、舗装のある左を選択。
道は山裾に沿って延々と続く。
左手には既に天引尾根の一端が見えるが未だ取り付く距離ではない。
巨大な窪を隔てた山手を見ると伐採後の禿山が繋がっている。最近は
吉井や甘楽の里山が禿山にされ林道が縦横に開鑿されているので
里山風情を損っていると感ずることが屡ある。
山の縁を回りながら後ろを見たら窪の末端に多くの残材が屠り込まれているが
台風などが来ればこれらは沢に流されて流木ダムでも作るだろう。
尾根と林道との標高差がぐっと近づいたので上り口を捜すと流水の跡の
ような場所があったので尾根を目指して斜面登り。
僅かの距離で幅広の尾根に這い上がる。
この天引尾根は岩突起を含めてアップダウンの激しいのは覚悟の上だが
南進は兎に角登りが主体。
直ぐにコブが目の前。
コブの頂点・丁字路には目印の杭。ここは市町村の境界ではないので
字境界かな。
そうだとすれば左(東)が下鳥屋で右(西)が堂ノ入と云う事かな。
左への道を選択、尾根道なのにまるで林道のようだ。
少し下り目に進むと可笑しな場所に出た。右下からさっき歩いた林道の延長が
来ていて尾根道がそこへ垂れ下がっている。
何のことはない、尾根への進入口など探さずに此処まで来れば尾根が垂れて
林道と合わさっていたのに。
今度はほんとに林道と別れて左目の尾根道に入り直す。
進路の様子、漸く里山ハイクの雰囲気たがコブが連続するので年寄りには辛い。
漸く図根点 468mピークに辿りついて一息入れるが歩行距離はあと400m。
図根点を過ぎると一旦は大きく下ってアップダウンを激しく繰り返す。
帰路は下り一辺倒で楽が出来るとの思惑は完全に消し飛んで
今から憂鬱になる。
下りの途中で思いもかけず竹やぶに突入。払いのけたり四つん這いに
なったり大忙し。
竹やぶの末端が三角点山の直下。見えるのは岩帯だけで嫌な予感。
年寄りは止めた方が無難と思われる強烈な岩場登りが続く。ロープは
無いので一歩一歩足場になる岩角と掴まる雑木を確認しながら超スロー。
そして何とかこの岩頭に立った。
漸く三角点・天引にタッチで往路は終わり。此処までに二時間二十分を要して
いるから更に南進して亀穴までの長丁場をスイスイとこなしたヤマイタチさんの
真似は出来ない。尤も彼は某大学の山岳部出身だから爺イとの比較の対象外。
本日の爺イ。疲れた顔だが本当は年相応に萎びているだけ。
ここで楚巒山楽会の故・川俣さんの慰霊祭。桐生の山中で急死されたのは
3月9日だから一寸遅れたが毎年何処かの山の上で一人でやっている。
風があり落ち葉も多いので蝋燭や線香の火は使わずに写真だけ。
この写真は同じ桐生で転落死した極楽とんぼさんの合同慰霊祭のときの
岳友の集合写真。
南進する尾根道を眺めてから帰路に付く。今日は行かないが亀穴峠から此処までは
数回通過している。今日は北への延長尾根を歩いてきたのだ。
岩頭からは降りられないのであちこちと迂回しながら岩場を突破して
嫌な竹やぶを又四つん這いで潜り抜ける。
登り返しの突起をエッサエッサで登り
振り返るとこっちからは大したものではなかった。
やがて前方に図根点峰が見えてくる。
ここの登り返しも足場の悪い大荒れ状態。
図根点到着、何時も世話になっているトレッキングシューズも
写真に仲間入り。
急降途中の見覚えのある赤杭通過。
こんな下りを続けて
林道と尾根の合流点に来て振り返り。
復路は始から林道歩き
往路の取り付き点でもう少し我慢が必要だったなと苦笑い
作業小屋のある最初の分岐を過ぎれば後は舗装の急坂を下るだけ。
今日も無事にスタート地点に無事帰着。復路は1時間20分。
帰宅後、対横浜戦との追いつかれ連続の延長戦をイライラして見ていたら
左足が攣つた。疲労したのか? 心臓疾患なのかは不明だがその後はなんとも無いから
大した事ではないだろう。
時間が中々取れなかったが、先日「ヤマイタチさん」が歩いた天引集落から
亀穴峠に至る長大な「天引尾根」のうち、爺イが未だ歩いていない箇所があるので
足慣らしに丁度良いと思って出掛けた。勿論、甲子園決勝戦は歩きながらラジオで。
吉井の町を南進してR-254に乗り西進、金井信号を左折してr-204(金井・小幡線)に
乗り換え。幅広の綺麗な道を約3.3k程で左にこの道標、ここが鳥屋(ドヤ)林道入り口で
終点は「天引森林公園園地」。r-204をそのまま直進すれば山裾を蛇行しながら
「甘楽町歴史民俗資料館」の信号で甘楽町の中心街に達する。
鳥屋林道を僅かに0.3kでこの看板のところで右への細道に入る。
直ぐ脇には「堂ノ入林道」の表示板。沢の左岸の細い道で集落を進む。
蛇行道を低速で走り0.8k程で右の斜面が開けて二つの庚申塔。
延享2年(1745)と寛政10年(1798)の銘がある。
甘楽町に四箇所ある磨崖仏の一つ、「熊野堂の磨崖仏」。
甘楽の磨崖仏はこの他に町重文の「引田の地蔵菩薩の磨崖仏」
「平石の阿弥陀磨崖仏」と1985年完成と新しいために文化財指定がされて
いないが一番有名な「長厳寺の磨崖」がある。
この熊野堂は江戸中期 1700年代の阿弥陀如来と推定されていて勿論
甘楽町の重文指定。
爺イはこの手の石像の撮影が下手糞で今回もこれで精一杯。高さは60㎝位?
近くには地元の人の奉納仏作品と見られるやや拙劣な石像物があるが
双神道祖神の他は判別できない。
この林道を進めば「堂ノ入北砂防ダム」を経て林道終点から尾根手繰りで
亀穴峠の西側稜線に達するが
今日は磨崖仏に車を置いて少し手前の地形図上に実線で書かれている
作業道を辿ってから天引尾根に乗って南の三角点・天引までを往復する
約6.5kのハイキング。
先ずこの橋で対岸に渡るが橋の脇に私有地・無断進入禁止とあったので
片手拝みで失礼して通してもらう。
出だしから傾斜のある道を先ず林の中を抜ける。乾燥した路面に
はっきりと轍の跡があるのでかっては相当利用されていた模様。
明るく開けた場所に出ると道は真っ直ぐに伸び、途中から舗装道。
やがてY字分岐、舗装のある左を選択。
道は山裾に沿って延々と続く。
左手には既に天引尾根の一端が見えるが未だ取り付く距離ではない。
巨大な窪を隔てた山手を見ると伐採後の禿山が繋がっている。最近は
吉井や甘楽の里山が禿山にされ林道が縦横に開鑿されているので
里山風情を損っていると感ずることが屡ある。
山の縁を回りながら後ろを見たら窪の末端に多くの残材が屠り込まれているが
台風などが来ればこれらは沢に流されて流木ダムでも作るだろう。
尾根と林道との標高差がぐっと近づいたので上り口を捜すと流水の跡の
ような場所があったので尾根を目指して斜面登り。
僅かの距離で幅広の尾根に這い上がる。
この天引尾根は岩突起を含めてアップダウンの激しいのは覚悟の上だが
南進は兎に角登りが主体。
直ぐにコブが目の前。
コブの頂点・丁字路には目印の杭。ここは市町村の境界ではないので
字境界かな。
そうだとすれば左(東)が下鳥屋で右(西)が堂ノ入と云う事かな。
左への道を選択、尾根道なのにまるで林道のようだ。
少し下り目に進むと可笑しな場所に出た。右下からさっき歩いた林道の延長が
来ていて尾根道がそこへ垂れ下がっている。
何のことはない、尾根への進入口など探さずに此処まで来れば尾根が垂れて
林道と合わさっていたのに。
今度はほんとに林道と別れて左目の尾根道に入り直す。
進路の様子、漸く里山ハイクの雰囲気たがコブが連続するので年寄りには辛い。
漸く図根点 468mピークに辿りついて一息入れるが歩行距離はあと400m。
図根点を過ぎると一旦は大きく下ってアップダウンを激しく繰り返す。
帰路は下り一辺倒で楽が出来るとの思惑は完全に消し飛んで
今から憂鬱になる。
下りの途中で思いもかけず竹やぶに突入。払いのけたり四つん這いに
なったり大忙し。
竹やぶの末端が三角点山の直下。見えるのは岩帯だけで嫌な予感。
年寄りは止めた方が無難と思われる強烈な岩場登りが続く。ロープは
無いので一歩一歩足場になる岩角と掴まる雑木を確認しながら超スロー。
そして何とかこの岩頭に立った。
漸く三角点・天引にタッチで往路は終わり。此処までに二時間二十分を要して
いるから更に南進して亀穴までの長丁場をスイスイとこなしたヤマイタチさんの
真似は出来ない。尤も彼は某大学の山岳部出身だから爺イとの比較の対象外。
本日の爺イ。疲れた顔だが本当は年相応に萎びているだけ。
ここで楚巒山楽会の故・川俣さんの慰霊祭。桐生の山中で急死されたのは
3月9日だから一寸遅れたが毎年何処かの山の上で一人でやっている。
風があり落ち葉も多いので蝋燭や線香の火は使わずに写真だけ。
この写真は同じ桐生で転落死した極楽とんぼさんの合同慰霊祭のときの
岳友の集合写真。
南進する尾根道を眺めてから帰路に付く。今日は行かないが亀穴峠から此処までは
数回通過している。今日は北への延長尾根を歩いてきたのだ。
岩頭からは降りられないのであちこちと迂回しながら岩場を突破して
嫌な竹やぶを又四つん這いで潜り抜ける。
登り返しの突起をエッサエッサで登り
振り返るとこっちからは大したものではなかった。
やがて前方に図根点峰が見えてくる。
ここの登り返しも足場の悪い大荒れ状態。
図根点到着、何時も世話になっているトレッキングシューズも
写真に仲間入り。
急降途中の見覚えのある赤杭通過。
こんな下りを続けて
林道と尾根の合流点に来て振り返り。
復路は始から林道歩き
往路の取り付き点でもう少し我慢が必要だったなと苦笑い
作業小屋のある最初の分岐を過ぎれば後は舗装の急坂を下るだけ。
今日も無事にスタート地点に無事帰着。復路は1時間20分。
帰宅後、対横浜戦との追いつかれ連続の延長戦をイライラして見ていたら
左足が攣つた。疲労したのか? 心臓疾患なのかは不明だがその後はなんとも無いから
大した事ではないだろう。
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