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おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

集団的自衛権

2014年05月18日 | Weblog

 

午前5時の気温はプラス6度。真っ黒な雲が低く垂れこめております。

予報によると、今日は終日こんなお天気だとか…

おかげさんで、心もどよんとしてしまう。

札幌ではライラックが咲き初めており、文字通りの「リラ冷え」だそうな。

この時期、街を漂うあの香が好きでした。

リラ冷えという言葉がよく知られるようになったのは、過日亡くなった作家、渡辺淳一さんの小説「リラ冷えの街」だとおもっておりましたら、そもそもは違うのだそうな。

俳人の榛谷(はんがい)美枝子さんという方が「リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて」という句を昭和35年に詠んでおって、これを渡辺淳一さんが気に入って小説の題名にしたのだそうな。

知らんかったです。

写真は過日購入した「シイタケのほだ木」。1本650円なりで余市の市民農園でゲットいたしました。

来年から年に2回、でもって、4~5年は自家製しいたけが楽しめるそうです。

ところで、

CHAGE and ASKAの飛鳥が覚せい剤所持の疑いで逮捕だそうな。

これについては週刊文春が昨年、ろれつが回らないなど、相当ヤバイことになっておったと報じておる。

警察はこれを延々放置しておったわけで、なにしてたんだって話だ。

そういえば、その週刊文春の編集長はメルマガで以下のように嘆いておりました。

「事実」にもかかわらず、「取材源秘匿」の壁があって、当事者を証人に出せないため、裁判に負けてしまうことがある。それを受けて、原告側は「事実ではない」と喧伝し、世間も「週刊誌がデタラメを書いて負けた」と受けとめる。こんなに悔しいことはありません。日本以上に有名人のスキャンダル報道が盛んなアメリカでは、真実性の立証は原告側に求められるというのに……。

取材源を「秘匿して守る」のは取材の大原則でござる。これができないと誰も真実は話してくれません。

だから文春は、取材源を守って、裁判に負けることがあるという。

ニッポンでは、週刊誌にこそ「ジャーナリズム精神」がちゃんと残っておると、この際は申しておきましょう。

さて、

集団的自衛権でござる。公明党が急に存在感を増して来ております。

創価学会が行使には「憲法改正を経るべきだ」と至極まっとうなことを申しておるからです。

こうなると応援のひとつもしたくなる。

はっきり申して、解釈しだいでなんでもできるなら、憲法も法律もいりません。

いわゆる「ノーズロ」状態。

おぢが若いときでも古い言葉と思ったけど、ようは「ノー・ズロース」、その後はノーパンとも申しました。

だらしないことの「例え」だわな。

どうとでも受け取れる「あいまいない法律」をつくるのは、官僚のもっとも得意とするところ。

いか様にも解釈して、官僚に都合のよろしい方に決めて、省益の拡大を図るのです。

崩壊寸前ともいわれる年金だって、法律に「加入者の福祉増進を目的」なんて文言をねじ込んで、テニスコートやプール、かんぽの宿、グリーンピアなどなど、湯水のように国民の年金をつぎ込んだのは官僚さまでござる。

しかもこれが法律に「加入者の福祉増進を目的」と盛り込んでおるため「合法」という「解釈」なのです。

閣議はサイン会ですから、そんな文言が法律に紛れておっても、大臣も総理も気が付くはずもない。

だから、解釈改憲なんぞは官僚さまのお手の物。

それに乗っかって、憲法の解釈を勝手に変更する政治家、あまりにデタラメじゃ。

そもそも湾岸戦争のとき、1兆円を超えるカネを出したニッポンが感謝されなかったのは、「血を流さなかった」からだと言われました。

憲法で戦争することは禁じられておるから、協力できることはカネを出すことぐらい。

ニッポンには「憲法の事情」があって「戦争はできない」ってことは、諸外国にも当然のことながら理解してもらえるのではないのかね。

ところが、解釈改憲して戦争に参加すると、これはもう「大義名分」が立ちません。

憲法で「戦争放棄」を謳いながら、「戦争する」国家なんぞ、とても信用できないことになる。

「平和国家」と世界に認知されてきたニッポン国は、大きく変節することになるのです。

いまは憲法上、「人を助ける自衛隊」だ。

これを「殺して殺される自衛隊」にしたいなら、国民の多数が納得する形、つまりは憲法をちゃんと改正してから、そうするのがよろしい。

それが民主主義ってもんではないのかね。

いくら世界を取りまく情勢が変化したからといって、していいことと、してはいけないことが世の中にはあると思うけど、どうよそのあたり???