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啓蟄

2016-03-05 | 日本語百科
二十四節気、啓蟄の候、2018年 3月5日15:28 定気法では太陽黄経が345度のとき、二十四節気の第3であるから、二月節の旧暦1月後半から2月前半、この日から次の節気の春分前日までをさす。暦便覧に、陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり、と記されているようである。蟄虫啓戸、ちっちゅう こを ひらく :冬蘢りの虫が出て来る(日本) というわけである。

啓字が春の戸を開く、そんな思いで、この季節は地中から這い出る、木の芽が膨らむときであると、活動することを思った。啓蟄の会である。はるかな、思い遥かな記憶に、ゼミ生をあつめたころだったから、35年前を思い起こす。浜名湖畔のひと時である。その啓蟄が驚くであると知ったのは、それこそ、驚きであった。驚字である中国の節気に、日本での文字遣いとの違いはこの文字だけであった。清明の踏青節を探求していた時だから、そのころ、いわば、発見であった。それは正月が別名であることをも解き明かした。

ときを経て、その違いの説明は次のようである。


ウイキペディアより
>啓蟄のことを日本以外の漢字文化圏では驚蟄(惊蛰、拼音: jīngzhé)と書く。また日本でもそう書く場合がある。
これは、漢王朝6代皇帝である景帝の諱が「啓」(現代北方音: qǐ)であり、避諱して意味が似ている「驚」の字で代用したことに由来する。
唐代に入ると、啓の字を避ける必要がなくなったことから「啓蟄」に戻された。それと同時に、順次も孟春正月中に変えられている。しかし、使い慣れないせいもあって大衍暦で再び「驚蟄」に戻され現在に至る。
日本でも、中国と同様に「驚蟄」が歴代の具注暦に使われている。後に日本でも大衍暦と宣明暦を採用したが、驚蟄は、日本では、仲春二月節とされた。日本で「啓蟄」が名称として用いられたのは、貞享の改暦の時である。従来の仲春二月節のまま、文字だけが改められた。二十四節気の名称のうちで日本と中国で異なっているのはこれだけである。


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