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憲法記念日に

2016-05-03 | 斯く書く
憲法記念日に寄せてあれこれと思いめぐらせ、日永、過ぎた。憲法を改正する、9条をどう扱うかと議論をする。戦後の世代にもたらした70年の憲法の精神は国論を二つに分け始めている。ほんの数年前までに世論調査には5割弱に改正にむかうような議論が、ここ3、4年間に3割強の人が改正に与しなくなって、どちらとも言えない人がそれぞれ加担すると、改正には6割強、改正しないには7割強、この対立構造となった。平和憲法なら改正しないが良いに決まっているし、9条があるために欺瞞を続けていくならば、それは考え直さなくてはならないし、何よりもその議論の背景にある、戦争の憲法としての議論が人々にはないことが気になる。それは国防を自らが行ってきていないという視点の欠如によるからで、明治に生を受けた人たちには、いまはもう聞かれなくなってきただろうけれど、日本は米国の属国になったと口癖であった、その歴史事実を清算することなく、これから日本はあり得ないと考えることがなくなってきた。占領時代というおどろろしい歴史時代区分が、この日本に60年前にあることをどれくらい認識し、その占領により基地提供をしてきている70年を直視しなければ日本国地域の防衛はあり得ないということをどう考えてきているか。さきの7割の人々に、国民の生命財産を守る方策を尋ねてみて明快な答えがあるかどうか、あるいは、その保障を作ることを考えているかどうか、心許ないと思ってしまうのは、9.11テロ事件のように日本の霞が関に突入が起これば、7割のうちの4割の人は、国防をどう議論するだろう。憲法は国民の財産と生活を護るとしているのは他によるべき防衛力であるのか、条文による平和を希求する国民の精神であるか、それを選択して考えなくてはならないぐらいに、日本の文化、文明による民度は危うくなっている。改正するも、改正せずとも、わたしたち国民のひとりひとりの生命がかかってきている。戦争に巻き込まれるからなどの議論には、巻き込まれない戦争には自らが選び取る主体性として、なにをどう持つかを決めなければならない。

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