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日本語文法と国文法と対立する

2021-01-26 | 日本語文法

文法についての話である。
国語文法、日本語文法と、それは考え方による、これは考え方である、として、説明をしてきた。わたしたちが使う言葉に違いがるわけではないから、人々にとって捉え方が異なっていて、それでいても言葉によって伝えることができれば、共有するすることができると思ってきた。
その捉え方が異なるのは文法に共通して説明できることがあると考えてきたからである。
そして、いま、それが異なっているとする考え方があるとみると、明らかに共通しないことがあるということになってきた。言葉が違うというわけではない、自分たちの母語とする言語を別にする捉え方が広まりつつある、ということである。
そして、実は日本語というものをどう見てきたかという議論で、誰もが共通する考え方に回帰している。
次のようである。
 国語には文節がある、と言ってきた、それを、国語文節が合理的にする考え方になると、何があるか。これは品詞である。
 日本語には形態があると分析をして、日本語の形態素が意味の最小単位であるとするとらえ方には、なにがあるか。これは語の分類が便宜となる。
このそれぞれをつきすすめて、国語と日本語の説明に、文法論理の議論がたてられる。その根本において、次のようである。
 国語には主語がある。
 vs. 日本語には主格補語がある。
ひとつには、主語の論理が働くかどうか、という焦点になる。国語に主語を考える、国語に主語を考えない、そして、日本語に主語を考える、日本語の主語を考えない、という対立である。国語教育では主語を分析し、英語習得に寄与するところがあった。近代になって、国語を言語に対比して、文の単位をとらえてきたものである。日本語教育では同様に、主語をとらえることが行われてきた。
そこに、日本語学の新しい分析に、主語をとらえない日本語を説明する、という考え方が現れてきた。
すでに、国語の教育で、建築学の専攻者による学校教育の経験に、国語文法の発言があった。とりだされたのは、国語に主語があるという考え方は不要であるという、日本語における主語廃止の論である。この流れは三上章に見る著作が契機とするなら、1960年より起こる、略年表を引用。



『三上章論文集』(1975)くろしお出版

略年表は,三上章(1975)に所収
三上茂子氏によるもの
1903年 1月26日広島県高田郡に生る
1909年 甲立尋常小学校入学
1915年 県立三次中学校入学
1920年 山口高等学校入学→退学
1921年 第三高等学校入学
1924年 東京大学工学部建築学科入学
1927年 同大学卒業 台湾総督府就職
1929年 台湾総督府辞任
1930年 「批評は何處へ行く?」が『思想』に入選。朝鮮羅南中学校就職
1934年 羅南中
1935年 光州普通学校辞職 広島,修道中学校講師
1938年 和歌山県立粉河中学校就職
1939年 大阪府立八尾中学校へ転任
1940年 『技藝は難く-風刺-』(著者加茂一政(三上章),発行所武藏野書房,昭和15年5月10日發行)
1941年 佐久間鼎先生に入門
1942年 処女試論「語法研究への一提試」発表。6月
1948年 新学制により八尾中学校から八尾高等女学校に移る
1949年 女学校名,山本高等学校と変わる
1953年 胃潰瘍手術。胃穿孔を起こし再手術。「現代語法序説」刊6月
1955年 「現代語法新説」刊5月
1959年 第2「現代語法序説」刊11月
1960年 「構文の研究」で東洋大学から学位を受ける 「象は鼻が長い」刊10月
1961年 山本高等学校を辞職 武庫川女子大学講師
1962年 武庫川女子大学を辞める
1963年 「日本語の論理」刊3月「文法教育の革新」刊6月「日本語の構文」刊12月
1965年 大谷女子大学教授就任
1970年 ハーバード大学に招かれて渡米。「文法小論集」刊12月
1971年 9月26日死去


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