論文体といわれる、である文体、科学技術論文での文章取り決めには細かな規定を設けるものがある。そのほかの分野ではどうかとなると、一口に文系とくくってしまえばそれはさんさ万別と言っていいくらいになる、なぜなら発行するその雑誌によって主宰の論文投稿規定が定められていたりするからである。それは同様に理系にもと言ってしまえばそうなのだが、文型理系を問わず、その文章と出来上がった論文の共通するスタイルの大まかなところで、論文体がある。その印象には、カンマを使うJIS規格に対して句点を使う習慣の文章単位の取り方に違いが現われている。
>基本の文体
日本語の文体には, 文末の述語となる助動詞に応じて,
でございます調 (特別敬体; 謙遜体)
でいらっしゃいます調 (特別敬体; 尊敬体)
です-ます調 (敬体)
である調 (常体)
だ調 (常体)
であります調
ござる調
などがある.
http://www.okada-lab.org/Ronbun/JSyntax/KihonNoBuntai.php
科学技術論文の書き方
http://www.okada-lab.org/Ronbun/
‐である
> 話し手の説明、断定的判断を表わす。現代語では主に文章語として用いられる。
です でござります であります
でありんす でぇす
であ
だ
精選版 日本国語大辞典「である」の解説
[語誌]
(1)現代語の「である」の発生については、(イ)中世の「である」は、中世末期には「だ・ぢ(じ)ゃ」と音転化して多用され、それに従って終止形「である」は、近世初頭に消失したが、近世末期に、成立の背景が異なる「である」(オランダ語 zijn の直訳語アルと補格語デとの結合)が長崎通詞によって蘭学書の訳文に用いられ、これが現代語「である」の起源になったという説(山本正秀)と、(ロ)中世の「である」は、近世になると、漢学者の講義物、国学者の口語訳、僧侶の説教類などに多用され、江戸期の教養層の用語として存続し続けたとする説との二つがある。
(2)明治以後は言文一致運動の盛行、演説や実用文での試行、小説における「である」調の完成(尾崎紅葉「多情多恨」)、国定教科書における口語文の採用などによって普及一般化し、現代口語文の基幹をなすに至った。
(3)現代語では「だ」と同じはたらきを持つものとして「である」全体を助動詞とみる説もある。ただし、「で」と「ある」との間に「は」「も」などの助詞をはさむことがある。
(4)「静か」「平ら」「熱心」などに「である」の付いたものは、通常、形容動詞に補助動詞「ある」を伴ったものと説かれるが、「である」の用法としては差違がない。助動詞「そうだ」「ようだ」の場合も同様。
(5)否定形には、「でない」が用いられる。丁寧体は「であります」または「です」、その否定形は「では(でも)ありません」。
(6)活用語を受ける「のである」は、活用語の叙述に説明の口吻を加える。
(7)活用語に直接するのは、現代語としては「であろう」「ではないか」およびその丁寧体の場合に限られる
出典 小学館デジタル大辞泉
>「である」「だ」の丁寧表現で、相手に対して改まった気持ちを表す。
補説 「です」の語源については、「で候」「でおはす」「でございます」「であります」など諸説ある。「です」は室町時代以降の語で、能・狂言では、大名・奏者・鬼・山伏などの名のり言葉で、近世では、男伊達おとこだて・遊女など限られた人物、特殊な場面に多く用いられる言葉であった。一般に丁寧語として使われ、諸活用形を用いるようになったのは江戸末期・明治期になってからである。
精選版 日本国語大辞典「です」の解説
で‐す
〘助動〙
[一] (「でさうらふ」の下略「でさう」が変化したものといわれる) 丁寧な断定の意を表わす。…でござる。狂言で、主に大名・鬼・山伏(ときに奏者も)の名乗りなどに、尊大の語感をもって用いられる。
※虎明本狂言・入間川(室町末‐近世初)「罷出たる者は、東国にかくれもなひ大名です」
[二] (「でござります」→「でござんす」→「であんす」→「でえす」→「です」の経路で生じたものという) 丁寧な断定に用いる。
(イ) 江戸中期は、遊女・男伊達・医者・職人など限られた人々の間でほとんど文末の終止にだけ用いられた。でげす。
※咄本・軽口機嫌嚢(1728)一「まひ日出ましたれど、いまはこころまかせのしゅぎゃうです」
※人情本・春色江戸紫(1864‐68頃)初「吾儕(わちき)に限っちゃア大丈夫ですワ〈略〉身につまさるるやうですねへ」
(ロ) 江戸末期、助動詞「だ」の丁寧体として、終止形以外に未然形「でしょ(う)」、連用形「でし(た)」などの活用形や、「ですが」「ですから」などの用法が一般化した。明治以前は遊里、芸人の語とされ、明治以後、広く用いられるようになったものの、しばらくは上品でない語感を保ち、現在でも、「です」より一段丁寧なものとして「でございます」が用いられる。
※人情本・春色玉襷(1856‐57頃)初「駒はんはとんだことでしたネ」
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一「何ですネヱ。お待なさいよ」
※蝴蝶(1889)〈山田美妙〉二「腰を掛けて居るのは、前回に見えた蝴蝶といふ少女です」
※社会百面相(1902)〈内田魯庵〉電影「漸く一本立となったです」
(ハ) 「ば」「から」「て」などの助詞を伴う接続の語句を受けて文を終止し、また、間投助詞のように連用または接続の語句につけて用いる。「たとえ僕がですね、どんなに説明してもですね、納得してくれないでしょう」
※小公子(1890‐92)〈若松賤子訳〉前編「なぜかといふと〈略〉馬と荷車が置いて在ったからです」
※青い海黒い海(1925)〈川端康成〉第一の遺書「私はこのどうしやうもない事実を、その時初めてほんとに心で掴んだのでした。〈略〉しかしです。〈略〉私にとっては、きさ子は二十になってゐないとも言へるのです」
[語誌]
(1)明治に入って「です」体をとる洋学会話書の出版が続き、「です」の普及の先駆けを果たしたともいわれる。活用語に接続する例は幕末期にも散見するが、明治二〇年代には「でしょう」の使用が普通になった。
(2)「です」は「だ」「である」と同様、体言、副詞、または活用語の連体形に助詞「の(ん)」を伴ったものに付いて説明の語気を加える。「でしょう」の場合には活用語の連体形に直接して単なる推量を、「でした」の場合には「ません」に直接して単なる過去を表わす。また、終止形「です」も、主として形容詞活用の活用語や助動詞「た」などに直接して丁寧表現として用いることが多い。これらは、動詞のように「です」を伴うことのできないことへの補いとして生じた語法であるが、一般に、活用語が「です」を直接伴うことは標準的とは考えられていない。
(3)学校文法では「豊かだ」「平気だ」など形容動詞の丁寧体として、その活用語尾「だ」の代わりに助動詞「です」を用いると説く。
出典 精選版 日本国語大辞典