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やはり文章論に

2018-01-20 | 文法文章論
リマインダーに、1年前の記事に、日本文章論を見る。文法論、文章論、いずれの名称にするか、折衷して文法文章論としたが、その考えには変わるところがなくても、おさまりのよくない論となる。簡単明瞭に文論と文章論の違いを得ても、文法論とのかかわりで闡明にすることが難しいのである。




文章の区切り

文章を複数の文とする。その定義は、文は句点をもってなる、と言う説明と同じように、単純で至極明快である。複数の文であるかどうかの検討を行って、その文の単位を集めた文章を分析の対象とし......


文章を複数の文とする。その定義は、文は句点をもってなる、と言う説明と同じように、単純で至極明快である。複数の文であるかどうかの検討を行って、その文の単位を集めた文章を分析の対象として見てわかることがある。それは複数の文と言うのが、文の種類をもって見れば、数種類あるということである。それはパラグラフとなれば当然であるのだけれど、その種類を分けて見なければ文章を構成する文と言うのが決められないのが日本文法である。何を言っているかと言うと、文の統一した定義があって、それを文章でもって見れば、これまでのようなとらえ方では、その統一した定義では説明ができない。説明をするにしても、文は述語からなる、とか、 文は補語と述語からなる、とか、それは日本語文法を茫洋としたものにしてしまう。述語を言えばそれで文となるというので、陳述をもってするかつての議論の拡大構文になる。拡大構文とは何か。


句と文

文章において、文を見るか、句を見るか、文法観になる。現代語文法ではそれぞれ、センテンスであり、フレーズである。古典漢語の影響に、句を見ることが、英語の影響に、文を見ることになり、そ......




章句

文章は書記言語である、とする、伝統的な文章論は、文章単位に文を設定している。果たしてそれはそうであったのか。章句と言う用語を考えると、文章に章句があるというのは、何だったか。文章の......



文章において、文を見るか、句を見るか、文法観になる。現代語文法ではそれぞれ、センテンスであり、フレーズである。古典漢語の影響に、句を見ることが、英語の影響に、文を見ることになり、その文と句は、文法単位をその言語の影響においてみると、同じである。実際に中国語は、句子を用いる。日本語の句は、歌句、詩句、慣用句という用語について見るようになった。このブログで、再三にわたって、句のことを取り上げようとするが、ここでいつも同じような文言を繰り返している。


文章は書記言語である、とする、伝統的な文章論は、文章単位に文を設定している。果たしてそれはそうであったのか。章句と言う用語を考えると、文章に章句があるというのは、何だったか。文章の章と句をもってすれば、文章の段落となるか、デジタル大辞泉に、>
文章の大きなまとまりと小さなまとまり、とする解説で、句をも文のとらえ方になるか、文章を句の大きなまとまりと小さなまとまりとするようでもある。それを章句として中国古典の用語で見れば、日本語になっての使い方がわかる。たとえば、盡心章句上、孟子曰、盡其心者、知其性也、知其性、則知天也、存其心、養其性、所以事天也、殀寿不貮、脩身以俟之、所以立命也。とあれば、章句の内容として句があることがわかる。この句読が章句であるから、読点とするもので句が成立する。とすれば、句点とするのは、章のことであり、それは文章の区切りであるか。章句の学である。注釈書としてまとめられた、章句は、孟子章句、楚辞章句、大学章句、中庸章句などがある。


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