日本をNihon、Nipponのいずれにするか、読みのことである。音声を標準とするなら、ニフォン、ニッポンのいずれになるか。日本語を、にほんご にっぽんご と読み分ける。そして、いずれも意識としては正しい。何が正しいかとなると、実は、表記で、漢字を用いて、日本語というふうに書くことが、正しいのである。その意識としてあるのは、文字表記に正当性を認めるとすることは、漢字を用いることである。日本書記にも、読みが二通りあるとする意識に、文字表記では一つである。この署名には、知られているように、じっぽんしょき となる読み方も、17世紀初めに造られた辞書に発音が記録されている。そのころは、そう聞くことがあったから宣教師によって採取されたのである。そうすると、漢字音の変遷と、それを受け入れて、そのつど、定着した語もあったのであるから、日本についても、じっぽん の、読みがあることになるが、日本という、この表記には、ヤマトの呼称にも用いるなどしたであろうから、漢字音のまま、記録するもの、つまり、仮名書きはないので、ジッポンは定着してない。ここに、Nipponについて、日本と書くことが国名であり、それを読みとしては清音の伝統をもつと解釈した国学者によって、にほん となるべく、その発音は両唇の摩擦音であったろうけれど、音の交替で声門音の発音となって定着した。その仮名の清音表記には半濁点の符号が就くようになると、両唇破裂の強い発音も聞こえた、つまり、にほん にっぽん となるには、それぞれの仮名表記が現れてからのこと、それを教育によって、読みとしてのいずれをも定着させたのだろう。いつごろか、1900年に、小学校教育の指針ができたころのことである。
二ホン ニッポン
2016-11-23 12:09:13 | 語と語彙
日本はもと、ニッポンではなく、二ホンと発音したという仮説を立てる。すると、二ツについて、ジツとなる長安音になる漢字音の、そ前の発音を推定しなければならない。
さらに、ニッという促音になるから、その発音はニーッからジーッという音変化を起こしたかと類推をする。
日輪、大日という語を、ニチの発音でとりいれているから、呉音とすれば、日本は、ニチホンとなるが、ホの音がそれを両唇摩擦にして、フォの発音でするなら、ニチフォンとなり、ニーッフォンまたニ―フォンと発音をとらえた。
そのようであるならば、それを表記にして、二ホンとすることになる。ここに仮説は証明されるかどうかである
が、漢字音はすでに、本の発音が、ホンではなくて漢音のボンまたベンに変化していくのであるから、ニチベン、ニーッベンではない、さらに、りーッベンのような発音を日本のこととして聞くようになる。
これはニチフォンと聞いていたのとは違いすぎただろう。すると、日本となったのは、フォの両唇摩擦を破裂音に変えてニッポンとして意識するようになるが、ニーッポン、ニッポンと破裂を強くとらえることになる。
日本語の文字遣い日本語の成立は漢字を文字として学んだことから始まった。漢字を言葉としたので、文字をも言葉ととらえたのであるが、日本語は文字言語として形成することになる。日本語発音を中国語発音を......
日本語の成立は漢字を文字として学んだことから始まった。漢字を言葉としたので、文字をも言葉ととらえたのであるが、日本語は文字言語として形成することになる。
日本語発音を中国語発音をもとに、それは古代漢語の漢字音を日本語発音として作り替えたものである。
その漢字を発音表記として仮名文字を作り出した。
上代仮名、万葉仮名、そして草と呼ぶ草書体の仮名文字である。
それに対して片仮名としての記号の機能をもってした漢文訓読文の文字に分化していくが、草仮名と片仮名は漢字文字仮名文字として、時間を経てその使い分けの境界を新たなものにする。
外国語音の発音表記にカタカナを用いるようになるまで、長い時間が経過する。文字は漢字、仮名ともに、言葉を表している。
日本語の文字遣いを表記行動にみると、それは日本語を成立させる経過に、国語という国字による日本語化をすめする過程であったことがわかる。
国語は借用語、外来語、外国語を文字にすることであったのであるから、国語によって成立する日本語の形成と展開は世代を通して繰り返されてきている。
国語が日本語になる国語が日本語になる、それは大和語が日本語になることである、として、その契機を漢語と英語に見る。大和語は日本民族が漢語を借用する以前にあったと推定する言語である。それは大和族であるか......
国語が日本語になる、それは大和語が日本語になることである、として、その契機を漢語と英語に見る。
大和語は日本民族が漢語を借用する以前にあったと推定する言語である。
それは大和族であるか、定かにできない。
仮設して、和語である。倭、和 を、やまと と読み、大和、日本 を ヤマト と読んだ時代に、その言語には固有語である文字を持たなかったので、漢語を用いて日本語発音である大和語を書き表そうとした。
漢語に対して国語とするそのとらえ方は、漢字を和字にする試みであった。
日本語翻訳の経過にあるのは、もともとあった大和語に漢語訳加える作業となるが、それを文字として用いるのはまず漢字であるから、漢字を和字にするという翻訳であった。
その語を集めたのは、平安時代の和名類聚抄と類聚名義抄である。
漢字の意義分類体辞書と漢字の和訳辞書である。
大和語は時を経て漢語のほかの言語に、それは葡萄牙語であったが、和字をもってわかりやすい言いかえとなる意味を与える。
さらに和字は国字と呼ばれて、洋語に対する和語のとらえ方が行われて、国語国字問題となる。
漢文訓読を漢字片仮名で表した文章に、言文一致の運動に合わせて、表記の正書法を確立するための、国語がとらえられるようになる。
その国語がおよそ1世紀の時のうちに、戦争の社会変化を受けて、表音主義の表記を確立して、英語教育の言語教育に国語科目として定着する。
その国語を日本語と呼ぶことで、ヤマトではない、ニッポンの言葉とするようになる。