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宗教思想

2020-02-15 | 哲学日本語
日本哲学28  
渡来したのは漢字、漢語の文献であった。漢籍を移入して日本語にするべく、その影響を受けた。儒教にとって仏教は外国思想であったから、その受け入れには日本で宗教信仰とともにあった仏教が、実践を分けることになった。政治に儒学、知識に仏教という、その漢語による文献を区分けして日本語は受け入れてきたことになる。そこにまた、中国と長安での宗教としてひろまりつつあった浄土宗、実はそのころ、北宗禅宗と禅宗の主流となる馬祖道一があったが、ともに時代を経て、次代に日本には広がったとされる。


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中国の禅宗史 
> 「平常心是道」とは、「仏性」のような抽象的なものではなく、我々が普段生活していて抱く喜怒哀楽の気持ちそのものが「真理」として絶対的なものだという主張、「大磯大用」とは、人間のあらゆる営為はそのまま完全肯定されねばならないという主張であり、我々は、本来、「真理」そのものだとする思想を表現したものである。これは、東山法門以来の、日常生活と「悟り」を分離してはならないという思想の徹底であったといえる。
> 馬祖道一以降の禅思想は人間の個性が禅風に反映される道を開くものであったから、各禅匠は、それぞれに特色ある布教を行い、百花繚乱の様相を呈した。そうしたなかで系統によっては特有の禅風が形成されるようになつた。「五家(ごけ)」と呼ばれる「臨済宗」「潙仰宗(いぎょうしゅう)」「曹洞宗」「雲門宗」「法眼宗」 はその代表である。このうち、潙仰宗、法眼宗の系譜は早くに絶たれ、北宋期に隆盛を極めた雲門宗もやがて衰え、南宋以降は、基本的には臨済宗と曹洞宗の二宗のみが行われるようになった。


https://www.y-history.net/appendix/wh0303-083_1.html
浄土教/浄土宗
>中国仏教の初期の南北朝時代に始まった末法思想の中から、苦難に満ちた現世から離れて極楽浄土に往生しようという浄土思想が起こった。このような仏教の一派を浄土教といい、宗派としては浄土宗という。浄土教の思想は東晋の慧遠に始まり、6~7世紀の曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)をへて、唐時代の善導によってその信仰は深められ、唐の仏教の中で発展した。同時期に成立した禅宗の難行に対して、一切を阿弥陀仏によって救済されることを信じる他力本願であり、誰でもできる易行を説いて民衆に広がった。

知らなかった・・・中国には、日本人4700万人が「聖地」と崇める場所があった!
2016-05-25 10:27
>そのスポットの名前は、玄中寺だ。記事によると、玄中寺は北魏時代の476年に高僧・曇鸞(どんらん)によって建立された。曇鸞は浄土宗の開祖であり、唐代には天台宗の高僧・円仁が訪れて修業し、その後日本では法然が浄土宗を、親鸞が浄土真宗を開宗。両宗派の信徒が玄中寺を「聖地」として崇めてきた、と記事は伝えている。


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