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話芸と大神楽

2017-11-12 | 木瓜日記


話術によって楽しませる芸で落語、漫談、講談より、日本の話芸となると、話芸番組であるから、話芸そのものを見ることができる。太神楽の芸は、舞、曲芸、話芸、鳴り物の4つの要素から成り立つようであるから、その分類で、江戸時代、>関東へ下った太神楽は、関東の人々の好みに合わせて娯楽色を強めました。その結果、曲芸を盛り立てる役目を果たす口上が重要な役割を担うようになります。そして口上が変化・発展して、2人で滑稽(こっけい)な言葉のやり取りをする掛け合い噺(かけあいばなし:掛け合い)や歌舞伎のパロディーである茶番が生まれました  という展開がある。



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獅子舞は伎楽(ぎがく)や舞楽、散楽といった中国の芸能の一部として伝来したといわれています。また散楽からは曲芸や手品を演じる放下芸が生まれました。曲芸と獅子舞は早くから結びつき、獅子舞の余興として、あるいは獅子舞の姿のまま曲芸を行ったりしました。
江戸時代、伊勢神宮にお詣りすることが全国的なブームになります。しかし交通手段も限られており、参詣できない人たちが大勢いました。そのような人々のために伊勢神宮や熱田神宮に属して全国をまわり、お札を配ったのが太神楽です。彼らは獅子舞によって参詣したのと同じ功徳が授かると唱えて家々を訪れ、祝儀(しゅうぎ)の額に応じて獅子舞と曲芸を行いました。
関東へ下った太神楽は、関東の人々の好みに合わせて娯楽色を強めました。その結果、曲芸を盛り立てる役目を果たす口上が重要な役割を担うようになります。そして口上が変化・発展して、2人で滑稽(こっけい)な言葉のやり取りをする掛け合い噺(かけあいばなし:掛け合い)や歌舞伎のパディーである茶番が生まれました。

それまでは貴族階級の信仰だった仏教が、一般大衆へも広まろうとする講談や講釈は、もとは仏教で使われていた言葉です。特に講釈は、仏教の教えを解釈し講義するという意味で使われていました。この考え方は、講談の世界では近年まで受け継がれ、史実を読み聞かせて観客に知識を授ける「耳学問」としての色合いが、強く残っていたのです。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、戦乱が続き社会の行く末を悲観する末法思想の時代でした。諸行無常(しょぎょうむじょう)と浄土信仰(じょうどしんこう)を説く軍記物語『平家物語』は、布教のためにふさわしい題材でもあったのです。この物語を通して、仏教の教えをやさしく説くために、発声、発音、抑揚など、読み方にもさまざまな工夫がされていきました。この流れの中から生まれたのが、『平家物語』を語った琵琶法師(びわほうし)だったと考えられています。
その後、軍記読みを専門とする僧侶、あるいは本当の僧侶ではないが僧の姿をまねた者が現れます。戦国時代には、彼らの中から大名の御伽衆になる者がいました。そしてその中に南北朝の争乱などを描いた『太平記(たいへいき)』をおもに読む「太平記読み」もいたのです。その代表的な人物が赤松法印だったといわれています。「法印」も僧位の一つですから、彼も僧であったわけです。赤松法印は徳川家康(とくがわいえやす)に、平安時代から鎌倉時代にかけて平家と源氏が栄え、滅ぶ様子を記した軍記物『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』や『太平記』を読み聞かせたとされ、講談師の祖といわれています。





ふるえる
2006年11月12日23:58

風が冷たい
気候が急に寒くなった
あったかい秋のつぎに
紅葉が色づき始めた



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