スペインで起きたテロにイスラムのジハードを解説することがある。宗教活動の拡大行動に妨害を受けてジハードの実行をとらえるような説明になるが、かならずしも、あてはまらない。武力をもってするかどうかであるが、民衆に凶器としての車を用いることが、どう考えてみてもテロ行為である。その実行がなにを目的とするか、惨状を示すことによって、主張できたとするものはなにもないはずである。
スペインのテロ事件を悼む、車が凶器となって民衆に突っ込むのは、その惨状を以て宗教争いであることを解説する、虐殺ということだが、報道によればイスラム教徒はスペイン全人口の2.1%だそうである。英国4.8%、フランス7.5%の人口比で、起こす事件はジハードか。聖戦となるには、武力だけとは限らないようだから、それは報復せよとの、そのプロバガンダには動機見い出すことは困難であるにかかわらず、起きる。
信徒の義務とされている行為
>イスラム伝播のためイスラム教徒に課せられた宗教的義務。ジハードは必ずしも武力によるものではなく,心による,論説による,支配による,さらに剣による4種のジハードに分れる。
世界大百科事典内のジハードの言及
【十字軍】より
…フランス王ルイ7世,ドイツ王コンラート3世の遠征によるイスラム側ダマスクスへの攻撃(1148)は,喪失領土の回復戦略とはなり得ず,その敗退によってザンギー朝のヌール・アッディーンの下でのアレッポとダマスクスの同盟を許し,十字軍国家はシリア沿岸部の狭小な帯状地域に圧縮された。 12世紀中葉から末期にかけて,十字軍側と,ファーティマ朝を打倒してエジプトとシリアにまたがるイスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)を始祖とするアイユーブ朝(1169‐1250)の〈ジハード(聖戦)〉との戦いは,エルサレムの争奪をめぐって熾烈となり,1187年7月ヒッティーンの戦に大勝したサラーフ・アッディーンはエルサレムを同年10月に奪回した。これに対し西欧3大国の君主(イングランド王リチャード1世,フランス王フィリップ2世,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)が勢ぞろいした大規模な第3回十字軍(1188‐91)が編成され,両者の争いはその最高潮に達したが,結局西欧側の退勢を挽回し得ず,かろうじて1192年エルサレムへのキリスト教徒巡礼の自由通行を保障する協定の締結をもって幕を閉じた。…
【戦争】より
…この軍がローマ帝国の伝統を受け継ぐビザンティン帝国の正規軍や,戦象と重装備の騎馬隊を備えたペルシア軍を破ったのである。 後世に確立したイスラム法は,このような戦争をジハードとして合法化した。法理論のうえでは,世界はイスラム教徒が主権者である〈イスラム世界(ダール・アルイスラーム)〉と異教徒が主権者である〈戦争世界(ダール・アルハルブdar al‐ḥarb)〉に分かれている。…
※「ジハード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
http://blogos.com/article/23809/
BLOGOS編集部2011年09月10日 19:29
「ジハードはそんな意味じゃない」困惑するイスラム教徒の英国人
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イスラム教徒が少数派であった英国にあるルートンという街にテロ当時から住んでいる、アラブ系イギリス人のザヘッド・シクダーさんに9.11の同時多発テロから10周年を迎える今、何を思うのかについて執筆してもらった。ザヘッドさんはテロが起きた当時は学生で、イスラム教徒であるが故に受けた行為を語った上で、現在の世界に住む人々の考えに警鐘を鳴らしている。【取材・翻訳:清水泰輔(BLOGOS編集部)】
イスラムでは無実の人を殺めることは一番大きな罪なんだ
ザヘッド・シクダー:9.11が十周年を迎えるにあたって思うことを正直に打ち明けると、まず最初にあの日に起こったことに謝ることは出来ない。なぜなら、僕個人がビルの破壊などを支援したわけじゃないからね。あの日に起こったことは心の底から許そうと思っている。
僕自身はイスラム教徒だろうがそうでなかろうが全ての人間は"正義"を持っているし、僕はそれを信じている。イスラム教徒に限定して考えると、私たちの預言者でもあるモハメッドは私たちに「もし無実の人の魂を殺したとしたら、全ての人類を殺すのと同じだ"って教えている。
イスラムでは無実の人を殺めることは一番大きな罪なんだ。後で詳しく説明するけど、9月11日に起こったことは実際に僕の人生をこれまでに無いほど変えたよ。明確にしておきたいことは僕はあの日に起きたことを推奨、応援することは絶対にないってことだよ。あのテロ攻撃で亡くなった人々、ビルの中に取り残された人々を救いに行った消防士の方々には心から同情する。
でも同時に、イラクで"国際テロリズムを駆逐する"っていう大義名分で殺された無実の人々や、アフガニスタンで家を失った多くの人々、殺された人々のことも考えるよ。一番重要な事実だと思うことは9.11の背後で動いていた人間が完璧には分かっていないということ。だからこそ、特定の集団、特定の国に住む人々が思い込みによって非難されるべきではないと思う。個人的にはあの日から続いているアメリカの捜査でこの事件がイスラムが責任を負うような罪だってことを証明できていないと思う。
あの日から10年過ぎた今思うことは、証拠がない思い込みのようなものを見たり、読んだりして、それを真実だと信じる人がこの世界に氾濫していることだね。言語学者のノーム・チョムスキーも似たようなことを言っているよね。
学校の先生だって、僕たちイスラム教徒を違う目で見てた
あの日が僕の人生をどんな状況を変えたかについて話させてもらうと、あの事件は僕の人生を大きく変えた。当時は未だ学生で、学校から家に戻ってテレビを付けてみたらビン・ラディンがアメリカにジハード(聖戦)を宣言したっていう事実に困惑したよ。だって、ジハードって言葉はそんな意味じゃないし、西側でイスラム教がこんな風に伝えられているっていう事実にショックを受けたよ。
勿論、僕は路上を歩いているときに言葉による虐待、学校の中と外で人種差別みたいな攻撃だって受けたよ。皆、僕たちに偏見を持っていたよ。あの頃を思い出すと、政府はイギリスに住むイスラム教徒に"イギリス人"なのか"イスラム教徒"なのかの選択を迫られていたように思う。個人的には、あれは国家的な政策だったと思う。
とにかく、あの事件は多くのイスラム教徒は勿論のこと、イスラム教徒ではない人たちが"イスラム"について調べる機会になったんだと思う。「なんでイスラムが怖いんだ?」って感じでね。僕の周りで起こっている変化について話すと、"イスラム"のことを全く知らない僕の友人がイスラム教徒になったり、イギリス人でキリスト教徒の裕福な家で生まれた知り合いもイスラム教に改宗してる。
今のこの状況を考えれば、やっぱり当時は酷かったよ。中立であるべき学校の先生だって僕たちイスラム教徒を違う目で見てた。ちょっと長くなっちゃったね。繰り返しになるかもしれないけど、僕が言いたいことは信憑性がある情報もなしにイスラム教徒が非難されていた現実があったこと、そして説明した通り、僕にはあの日起こったことに責任はないよ。最後になってしまったけど、こうやって話せる貴重な機会を提供してくれて有難う。