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令和再説

2022-07-22 | 本を買いました

いささか旧聞になってしまった令和年号の話に、著作を購入してみたら書店から入荷の知らせがあった。検索で在庫ありというところで電話をしたら、店頭に並べての1冊きりらしく少し色あせているというからどうしようかと、すぐにも取り寄せできると言う応答で注文をしてしまった次第、何をか、万葉ポピュリズムを斬る 品田悦一氏の講演録になる。読みましたという時点で感想文などを書こうかと思う。かなり知的探求などの大学アカデミズムにある印象の本である。出版社のコピーがわからない。
>『万葉集』を利用しようとする国家の作り上げた幻想
すでに高校教科書に文章を寄せて、それは教科書会社の編集に検定をパスしたものだろうが、そこで唱えたことをどう繰り返すのか。


http://high-school.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_time/2015A/2015A_5.html
「万葉集」はこれまでどう読まれてきたか、 これからどう読まれていくだろうか
日時:2015年11月6日 17時30分から
場所:18号館ホール(詳細はこちら)
講師:品田 悦一
東京大学大学院総合文化研究科 言語情報科学専攻
【講義概要】
 私が『AERA Mook 「万葉集」がわかる。』にこう書いたのは、1998年のことである。《『万葉集』は、実は今から百年前に作られた。「そんな馬鹿な」と思われるかもしれない。もちろん書物としての『万葉集』は、奈良時代の末ごろに出来上がっていた。けれども、現在の私たちが『万葉集』だと思っているもの、つまり、日本人の共有財産としての『万葉集』像は、明治の中頃から構築され、ほぼ四半世紀後に完成したものなのだ。考えてもみて欲しい。江戸時代までの農民のうち、どれだけの者が、世の中に『万葉集』という書物があることを承知していたか。古代貴族の編んだ歌集が「日本人の心のふるさと」に見えるのは、私たちが、近代に発明された色眼鏡に愛着を感じ、それを外そうとしないからなのである。》
 『万葉集』の研究を逼塞させてもやむをえないとの、悲壮な決意とともに提出した私の見解は、17年を経た現在、学界ではすっかり常識となっている。そしてそこから再出発して、研究は新たな展開を示しつつある。昨年は、UCLA所属の研究者が、古代東アジアにおける帝国的世界像の広がりという視座から『万葉集』の中核的部分を捉えてみせた。国民歌集という足枷がはずれたために、かつては誰にも展望できなかった地平が現実のものになってきたのだ。
【キーワード】
「万葉集」、伝統の発明、国民、帝国、東アジア

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64241?page=5
2019.04.20
東大教授が解説!「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ
話題の読解「完全版」
品田 悦一
>秘められた「権力者への敵愾心」
また巻四には、長屋王の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった大伴三依みよりとの交情が語られていて、三依は大宰府に向かう前に荒れ狂っていた(五五六)。事件に憤慨したのではないでしょうか。さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、直前に、長屋王の嫡子で父とともに自害させられた、膳王かしわでのおおきみの作を配しています(九五四)。
これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。偶然の符合にしては出来すぎている。巻六では膳王の歌の直後から旅人ら大宰府関係者の歌ばかりが続きますから、テキストとしての『万葉集』は、旅人が長屋王事件のとき遠い大宰府にいたことをも読者に印象づけようとしていることになります。
もう一度梅花歌群に戻りましょう。
「都見ば賤しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原一族に向けられていると見て間違いないでしょう。
あいつらは都をさんざん蹂躙じゅうりんしたあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王羲之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。
長屋王を亡き者にしてまでやりたい放題を重ねる彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。年老いた私にできることといえば、梅を愛でながらしばし俗塵を離れることくらいなのだ……。
これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
テキスト全体の底に権力者への憎悪と敵愾心てきがいしんが潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体が付いて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好です。
もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。
安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。
一つは、新しい年号「令和」とともに〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージの飛び交う時代が幕を開け、自分たちが日々このメッセージを突き付けられるはめになったこと。
二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。
もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはなんとも迂闊うかつであったということです (「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。
もう一点、総理の談話に、『万葉集』には「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。
この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が批判しつづけたことが学界や教育界の受け入れるところとなったのです。
安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった一二ページですから、ぜひお目通しいただきたいものです。
東京大学教養学部主催の「高校生のための金曜特別講座」で語った内容ですから、高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。
* * *
【記】 品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド 分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社)
〈追記〉 安倍談話以来、「品田の本を読め」という声が世間に飛び交った結果、長らく品切れ状態だった旧著『万葉集の発明』(二〇〇一年、新曜社)の新装版刊行が決定した。
〈補記〉 「帰田賦」「蘭亭集序」を引き込んでの読みには先行研究があるが、この戦闘的な文章が累を及ぼすことを危惧して、あえて私ひとりが矢面に立つ形にした。諸先学におかれては筆者の意を察して諒恕されたい。


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