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日本語教育史(15)  魯西亜人と漂流民

2013-07-01 | 日本語教育の歴史
日本語教育史(15)  魯西亜人と漂流民

ペテルブルグに設置の日本語教室の教師に、漂流民、デンベイが1705年、任命された。
ピョートル大帝、1672‐1725、の勅命である。

同じく漂着した日本人が助手としていた。アイヌ語の通訳、サニマである。

ロシアでの日本語研究は、このように、漂流民によって始まった。

まずは、1695年4月にカムチャッカに漂着した大坂の淡路屋又兵衛船のデンベイである。唯一の生き残り者であった。
1701年にモスクワに送られる。ピョートル大帝に引見した。

デンベイは3年半、ロシア語を学び、1705年には勅命でペテルブルグに元老院付属日本語学校が創設されて、教師に任命される。

次いで、1729年カムチャッカ半島の南端に漂着した薩摩の若潮丸に乗り組んでいた17名のうち15名は殺されたが、ソウザとゴンザは生き残って、ペテルブルグに送られた。両名はロシアに帰化する。
4年間ロシア語を学ぶ。

ソウザは、コジマ・シュルツと名乗り、1736年に学士院の付属日本語学校で、通訳を養成する日本語教師となる。この年に43歳で死亡した。

ゴンザは、デミヤン・バモルツェフと名乗り、ロシアにおける最初の日本語学書である事典、会話集、文典などを作成した。薩摩方言を対訳した辞典の草稿は現存、約1万2千語である。


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