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受け身文

2019-12-16 | 日本語文法
受け身を、受け身文とすると、何か、合わないのは、使役を使役文、受け身を使役に用いて使役受け身文となる文法用語である。文法の れる られる 使役文から、せる させる 使役受け身文から、させられる という用法を解説することになる。しかしこれを受け身表現と使役表現、はた、使役受け身表現とすることと、文法論の語構成論あるいは語論とすることの違いがあって、日本語では語の用法における語形変化にする捉え方がある。前置きが、文法論、表現、語用とわたるので、受け身を、受け身文とする国語で説明をすることにする。これだと、例文に、雨が降る 雨に降られた あの人が叩いた あの人に叩かれた という言い方を見ることで、話しを単純にすることができる。

つまり、雨が降る 雨が降った 雨に降られた という、この表現は、話し手の主体にある、その出来事である。
降られる というのは、とくに、誰が、なにが、ということを問わないから、この表現が成り立つことばづかいだということである。

次に、あの人を、彼 として、彼が叩く 彼が叩いた 彼に叩かれた という表現は、話し手の主体に起こることは明らかである。あなたが叩いた あなたに叩かれた、という表現を、目前いる人を相手に、表現するかどうかの問題ではあるが、ここは彼に叩かれた、のであって、しかし、それを表現するには わたしを という、文の要素を補って理解することが求められるか、そのままに、わたしが と、わざわざに言わずとも、わたしが彼に叩かれた というのを表現している、彼に叩かれた のである。

すると、雨を降らせたのは、何か、だれか、ものか、ことか。わたしをたたいたのか、ほかの人をあの人が叩いたのか、それを明らかにしなければ言語表現に不足があるとするとらえ方がある。それは、言語を分析して文の要素とする考え方である。

ここまでは、国語の表現は、動詞に受け身用法の語形変化をする方法で受け身文を表すとしたものである。そのときに、かれが叩くのが、その相手がわたしのほかならば、あの人が叩かれた といえば、わたしでないことは明らかなので、言葉のやり取りで、その動作を分かりやすくしていることが日本語の表現である。

そこに、受け身文に、受動態の表現をとらえる見方が、対照文法で現れる。



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