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江戸東京たてもの園

2016-04-30 | わくわく
江戸東京たてもの園は小金井公園にある。最寄駅はJR中央線で武蔵小金井駅か、東小金井駅になる。府中まで出かけて自動車で向かった。エントランスのビジターセンター、ホールの展示に、小金井の桜 ー春の江戸東京名所めぐりー というのを観た。たてもの園は屋外展示、そのままの作りを残し移築している。明治村を想起させた。常盤台写真場に先ずは、なんとも言えず、次いで三井邸に圧倒されて、久しく昭和の建物を遠く、木造りの妙味を堪能した。

そして、いくつかをめぐるうちに、高橋是清の総栂普請主屋に感極まった、というか、歴史を感じてしまった。


>高橋是清は1899年(明治32)、赤坂表町(現在の港区赤坂)の武家屋敷跡の土地を購入し、古い家に住みながら、総栂(つが)普請(ふしん)の家を建築し、1902年(明治35)竣工後は晩年までここに住みました。
 主屋の2階は是清がくつろいで読書をしたり日記をつけたりする書斎及び寝室として使われていました。1936年(昭和11)2月26日未明、是清が青年将校による襲撃を受けたのもこの場所でした。


ビジターセンター(旧光華殿)(きゅうこうかでん)
ビジターセンター(旧光華殿)1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿です。
1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築されました。 江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修しました。
[千代田区千代田/1940年(昭和15)]

常盤台写真場(ときわだいしゃしんじょう)
常盤台写真場健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。
照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。
[板橋区常盤台一丁目/1937年(昭和12)]

高橋是清邸(たかはしこれきよてい)
高橋是清邸明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。
総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっています。2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]

三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい)
三井八郎右衞門邸港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。また、蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵に復元しました。
[港区西麻布三丁目/主屋:1952年(昭和27)土蔵:1874年(明治7)]

デ・ラランデ邸(で・ららんでてい)デ・ラランデ邸この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
[新宿区信濃町/1910年(明治43)ころ]


>江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に開園した野外博物館です。
都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの、30棟の復元建造物が建ち並んでいます。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。

>江戸東京たてもの園にほど近い小金井堤は、玉川上水をはさみ、かつては桜の木が連なる地として知られていました。これらの桜は、江戸時代中期に大和の吉野山、常陸の桜川から移植されたもので、小金井橋の上下が最も美しい景色とされました。

以来、明治期に入っても郊外の名所として愛され、1924年(大正13)には、花見のための臨時乗降場として、現在の武蔵小金井駅が設けられました。


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