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シベリア抑留

2014-08-13 | しかじか
シベリア抑留死者の数が厚生労働省のサイトで公表されている。抑留された人の数は(1)旧ソ連地域に抑留された者 約575,000人(うちモンゴル約14,000人)であり、そのうちの帰還をした人は、(2)現在までに帰還した者 約473,000人(うちモンゴル約12,000人)である。それに対して、(3)死亡と認められる者 約 55,000人(うちモンゴル約  2,000人)であって、また、(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約47,000人の方々がいた。敗戦による捕虜は、戦争に多くを失ったものたちの現実があった。シベリアの抑留はポツダム宣言受諾後のソ連軍の参戦に説明されることがあり、それをまた北海道の割譲にかかわるスターリンの極秘文書に帰着する。負け戦の将兵たちに虜囚の過酷さが襲った。



http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu16.html
>日本人捕虜が東京ダモイ(帰還)から一転してシベリア抑留強制労働に狩り立てられることに至った経緯は明らかである。北海道占領の断念が転じて捕虜の強制抑留に連なったことは歴史の示すところである。結果的に日本人捕虜は北海道本土を自らの労働によって償ったものとみてよい。
>日本が受諾した「ポツダム宣言」の第9項には「日本国軍隊ハ、完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ、平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ」とあるという。にもかかわらずポツダム宣言署名国のソ連が、これを無視して、およそ64万人の日本人を捕虜としてシベリアなどへ連行し、苛酷な労働を強制した。異国の地での厳寒・飢餓・重労働に耐えられず命を落とした日本人犠牲者は6万人を超えるという。一説によると、シベリア抑留はトルーマンがソ連の北海道分割占領(釧路と留萌を結ぶ線の北側の占領)を認めなかったからであるというが、理由やきっかけはどうあれ、明らかに国際法に反し許し難いことである。下記は、その強制連行の「スターリン極秘指令」抜粋である。
 しかし、抑留されている日本人捕虜の間に「スターリンへの感謝決議文」を送ろうという運動があったことも見逃すことはできない。まさにその運動は、関東軍をはじめとする日本軍組織がかかえていた様々な問題のあらわれであるといえるからである。「ドキュメント シベリア抑留 斎藤六郎の軌跡」白井久也(岩波書店)に資料として「スターリン極秘指令」全文が掲載されているが、その連行地の内訳部分の一部を除いた抜粋である。




go.jp/seisaku/2009/11/01.html

シベリア抑留中死亡者
終戦間近の昭和20年8月9日、旧ソ連は参戦し、終戦後旧満州、樺太、千島から約57万5千人の軍人等をシベリア等に強制抑留し、多くの方が亡くなられました。
(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)
(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)
(3)死亡と認められる者 約  55,000人(うちモンゴル約  2,000人)
(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約  47,000人

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