週末土曜日、13日は10年前のカレンダーも土曜日だ。
天候のめぐりも似たようなところである。
10年後の僕と言えば、退職をしていま、何をしていると聞かれれば、失業しているとこたえる身である。
そこに加えて、3日前にひっくり返って、後ろで背中で受身をして、首が頭を守ったから、肩が緊張したままで首が回らない、後遺症である。
それでも、助かったという思いで、駐車場の車止めのコンクリの高さを後ろずさりでこえることがなかった、ひっかかたわけであるから、どうと顛倒をしたsののところに、ほかに突起がなにもなかったというので、助かったわけである。
人の記憶はどれくらいか、去年、おととし、さてその前にはとなると、せいぜい数年である。それを5、6年とすると、記憶のとり出しに何かがあれば、思い出す。それを10年になると、ほぼ、忘却の彼方であるから、20年30年となると、そういうこともあったかどうかと、定かでない。10年ひと昔をとなえると、その10年のことを思い出として蓄えるほかには、出来事を脳内で年表にするようにすれば、それをたどることができる。項目としてのことがらは、そのまま、記憶を上塗りする。10年は一日の如しと、その思いを、わが来しかたに描くことになる。
>20060513 今日も雨だった
カテゴリ:思い遥かに
寒いような雨の日だった。
冷たく降った、まとまった雨と言う表現だ。
松井選手の連続出場が1768試合で止まる。
その映像がニュースに流れた、捕球の際の瞬間に。
後継争いを展開し始めたポストコイズミ。
派閥の領袖が候補者一本化をしないと明言している。
靖国参拝をするのか、しないのか、言動がそこに象徴される日本となった。
日本遺族会会長がA級戦犯の分祀を検討する提言をして政界模様を作り出す。
>週スケジュールに
2006年05月13日05:39
大型連休後の1週間が経って疲労は取れましたか、と
5月病に気をつけてくださいね、と言い続けている
週のサイクルで疲労のピークは水曜日の午後に来る
バイオリズムで見てもこの連休の疲れはなかった
週スケジュールで月曜日は3時限分プラスアルファ
次の日の午前が空きになって午後から3時限分あって
時間で言うと4時間以上しゃべり続けているのが連続する
そして水曜日に朝2時限分、午後に1時限分でここに週明けからのピークが来る
木曜にはまた3時限分、連続してあるので、ここに山を越えたひとがんばり
金曜日の朝に回復するので、午後の時限には週のスタートの感じになる
なにぶんも、しゃべる時間をトータルすると4.5時間の4回プラスで21時間になる
週2コマでそれぞれ学部と院で講義をしていた国立勤務のころが思い出される
楽なものだというのは、そのころを言うのではないが、週4回の講義、6時間しゃべれば、それであとは研究室
それは理想的だった、教える時間と準備する時間と、自分の研究の時間とを分けて週2日ずつで行える
ところが実はそこには指導に対する責任学部という見方があって、専門の学部でないからゼミ生がいない
言い換えると教えっぱなしなのだ、これは、もっともきつい
いまコミュニケーションを専門に、かつては言語文化のコースだった
その内容は日本語学と日本文化とをベースに、異文化接触、自文化の分析、言語現象を扱う
このそれぞれの研究は文献探索では済ましえない
実践が伴う、調査実験が必要なのだ
学会に出かけても研究の主流には帰納法よりも演繹法を聞くことが多くなる
より科学的な手法というわけだが、その基本となる概念、思考、推論、そして法則の発見に科学的な証明がない
研究には実証、証拠ががいる
証明なきものは、ただの話だ
講義でしゃべっている21時間のうち、12時間分以上は、すべてその内容には証拠証明を持つ話でなければならない
聞く側、聴講の立場からすると、つねにその根拠はなにか、その証明はあるのか、と求めることができる
つまり、それは本当ですか、と聞く権利がある
それに耐えられなければ、前に立つことは許されないのである
研究が研究であるゆえんは、夢や理想や将来をばかりを吹聴して、目先をごまかすことではない、いまの話を証明したのか、証明があるのか、それは誰がしたのか、いつのことなのか、どのようにしたのか・・・
たずねてみるがいい
天候のめぐりも似たようなところである。
10年後の僕と言えば、退職をしていま、何をしていると聞かれれば、失業しているとこたえる身である。
そこに加えて、3日前にひっくり返って、後ろで背中で受身をして、首が頭を守ったから、肩が緊張したままで首が回らない、後遺症である。
それでも、助かったという思いで、駐車場の車止めのコンクリの高さを後ろずさりでこえることがなかった、ひっかかたわけであるから、どうと顛倒をしたsののところに、ほかに突起がなにもなかったというので、助かったわけである。
人の記憶はどれくらいか、去年、おととし、さてその前にはとなると、せいぜい数年である。それを5、6年とすると、記憶のとり出しに何かがあれば、思い出す。それを10年になると、ほぼ、忘却の彼方であるから、20年30年となると、そういうこともあったかどうかと、定かでない。10年ひと昔をとなえると、その10年のことを思い出として蓄えるほかには、出来事を脳内で年表にするようにすれば、それをたどることができる。項目としてのことがらは、そのまま、記憶を上塗りする。10年は一日の如しと、その思いを、わが来しかたに描くことになる。
>20060513 今日も雨だった
カテゴリ:思い遥かに
寒いような雨の日だった。
冷たく降った、まとまった雨と言う表現だ。
松井選手の連続出場が1768試合で止まる。
その映像がニュースに流れた、捕球の際の瞬間に。
後継争いを展開し始めたポストコイズミ。
派閥の領袖が候補者一本化をしないと明言している。
靖国参拝をするのか、しないのか、言動がそこに象徴される日本となった。
日本遺族会会長がA級戦犯の分祀を検討する提言をして政界模様を作り出す。
>週スケジュールに
2006年05月13日05:39
大型連休後の1週間が経って疲労は取れましたか、と
5月病に気をつけてくださいね、と言い続けている
週のサイクルで疲労のピークは水曜日の午後に来る
バイオリズムで見てもこの連休の疲れはなかった
週スケジュールで月曜日は3時限分プラスアルファ
次の日の午前が空きになって午後から3時限分あって
時間で言うと4時間以上しゃべり続けているのが連続する
そして水曜日に朝2時限分、午後に1時限分でここに週明けからのピークが来る
木曜にはまた3時限分、連続してあるので、ここに山を越えたひとがんばり
金曜日の朝に回復するので、午後の時限には週のスタートの感じになる
なにぶんも、しゃべる時間をトータルすると4.5時間の4回プラスで21時間になる
週2コマでそれぞれ学部と院で講義をしていた国立勤務のころが思い出される
楽なものだというのは、そのころを言うのではないが、週4回の講義、6時間しゃべれば、それであとは研究室
それは理想的だった、教える時間と準備する時間と、自分の研究の時間とを分けて週2日ずつで行える
ところが実はそこには指導に対する責任学部という見方があって、専門の学部でないからゼミ生がいない
言い換えると教えっぱなしなのだ、これは、もっともきつい
いまコミュニケーションを専門に、かつては言語文化のコースだった
その内容は日本語学と日本文化とをベースに、異文化接触、自文化の分析、言語現象を扱う
このそれぞれの研究は文献探索では済ましえない
実践が伴う、調査実験が必要なのだ
学会に出かけても研究の主流には帰納法よりも演繹法を聞くことが多くなる
より科学的な手法というわけだが、その基本となる概念、思考、推論、そして法則の発見に科学的な証明がない
研究には実証、証拠ががいる
証明なきものは、ただの話だ
講義でしゃべっている21時間のうち、12時間分以上は、すべてその内容には証拠証明を持つ話でなければならない
聞く側、聴講の立場からすると、つねにその根拠はなにか、その証明はあるのか、と求めることができる
つまり、それは本当ですか、と聞く権利がある
それに耐えられなければ、前に立つことは許されないのである
研究が研究であるゆえんは、夢や理想や将来をばかりを吹聴して、目先をごまかすことではない、いまの話を証明したのか、証明があるのか、それは誰がしたのか、いつのことなのか、どのようにしたのか・・・
たずねてみるがいい