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講説日本語文法 その3 

2018-11-04 | まさごと

講説日本語文法 その3 文典

 文法を文典に記していたのは、語学書物の翻訳名を文典といったからである、語法書であったから、概念の説明として、日本語での説明になると語典が文法書という本になる。もと文法は翻訳の概念であるから、grammar を日本語に入れて、a book containing rules of grammar のように、文典にも扱っていたのである。

 文典名には、大清文典をみる。解説によると、1869年に出版、アメリカ人の宣教師高第丕、Crawford. Tarlton P. と中国登州府人の張儒珍との共著である、文学書官話があり、それを、大清文典として金谷昭の訓点による中国語文法書であるという。明治10年(1877)青山清吉によって出版された。中国語で書かれた最初の中国語口語文法のようである。

 明治期の文法、文典の語義の使い分けを見ると、そこには文学の捉え方にも及ぶ。

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/h4-yuan.pdf
明治期における日中間文法学の交流  袁   広 泉
>この過程において、「文学」の語義も大幅に狭まった。文久二(1862) 年刊行の日本初の英和辞典『英和対訳袖珍辞書』においては、「文学」は「grammar」の 訳語に当てられている。その後、明治 8年に文部省公認の「開成学校課程表」において初 めて「literature(文芸)」の訳語として登場してくるが、明治 24(1891)年出版の大槻文 彦編『言海』では 「 語学 」(language study)とも解釈され、「grammar」への回帰も見られる。「literature」か「grammar」かの揺れがいつになって収まったのかは更なる研究を 俟つが、大槻と金谷が申し合わせたように『文学書官話』を「文典」に改名した明治10年前後に、「grammar」と「文学」との対応関係が当時の日本では既に崩れていたと見て 良かろう。そしてこれに伴ってか、「文学」は「literature」の訳語として定着、日本社会 に普及してから、明治 30年代の中ごろ以降中国にも伝わり、広まった(13) 。

明治期における日中間文法学の交流 - 京都大学人文科学研究所
www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/h4-yuan.pdf

http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/52380/20160528120147178040/hss_037_095_0112.pdf
>岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第37号(2014.3)、『大清文典』の中国語カナ表記について A Study on Chinese-Kana (Japanese characters reflecting Chinese pronunciations) in Daishin-Bunten (A Chinese grammar text) 張照旭 ZHANG, Zhaoxu
例言
近‐日坊‐間ニ於テ、舶‐来‐本漢‐土文‐法‐書ヲ得タリ、其書ヲ文學‐書‐官‐話(Mandarin Grammar)ト曰フ、音‐論字‐論、句‐法文‐法ヨリ、話‐説ノ用‐法ニ至ルマテ、章‐解句 ‐析、逐‐一備‐論、遺ス所無シ、蓋シ彼ノ國文‐法之説、實ニ是ノ書ヲ以テ、嚆‐矢ト為ス矣
( ここに、紹介されている例言の、書き下し文は、張照旭、上記による)
 





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